[No.7298]
Re: ドイツと日本を結ぶもの―日独修好150年の歴史ー
投稿者:GRUE
投稿日:2015/09/29(Tue) 11:10
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紋次郎さん、おはようございます。
> で、第一次で戦勝国になった日本は、ドイツ兵を日本国内の複数の捕虜収容所へ入れた。捕虜との関係は大体において友好的で、ドイツ人捕虜は、近隣の市民ともおおいに交流した。
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> この「ドイツ展」で、あっしは、話には聞いていたが、実際には一度も見たことのない捕虜の作った音楽会のプログラムなどを実見することが出来た。彼らの中には入隊前、様々な職業についていたものが居り、そのおかげで近隣の市民は、彼らから種々の技術をじかに教わることが出来た。いわゆる技術移転である。多数のデータの中に、彼らの作った種々様々な印刷物が残されている。それが、当時は
>
> ガリ版しかなかったという割には、なかなか立派な出来で、どう見ても素人離れしている。捕虜の中には、ペンキ屋から大工、パン屋から肉屋と、何でも揃っていたらしい。
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> 九州は久留米の収容所でのコンサートでは、なんと捕虜がワグナーの「パルジファル」を演奏したそうである。
1920年ごろのお話でしょうが、日本にドイツ人捕虜収容所があったとは、
初め知りました。
その後、ドイツとはなかよくなっていくので、待遇も結構自由だったのかも
しれませんね。
それにしても立派なプログラムですね。垢抜けしている感じがします。
(つづく)