[No.7947]
鉄腕アトム「赤いネコ」
投稿者:男爵
投稿日:2017/10/06(Fri) 11:49
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差別用語、言葉狩り
これについて思い出すのが
手塚治虫の鉄腕アトムシリーズの「赤いネコ」
* 言葉狩りの実例は最後に書きましたので、お急ぎの人は最後をお読みください。
「赤いネコ」において、国木田独歩の武蔵野に中の文章を紹介している。
・ 武蔵野を歩く人は道をえらんではいけない
・ ただその道をあてもなく歩くことで満足できる
・ その道はきみをみょうなところへみちびく……
・ もし人に道をたずねたら……
・ その人は大声で教えてくれるだろう おこってはならない
....
・ 頭の上で鳥がないていたらきみは幸福である
独歩の文章の場面とは全然違うマンガの場面に、上記の文章が使われていて、面白い。 ミスマッチのおかしさ
ここに詳しい紹介がある。
昭和28年の作品なので,当時小学生だった私には気のつかなかったことがたくさんあった。
http://tezukaosamu.net/jp/mushi/201112/column.html
Y教授のぶきみな屋敷は山本有三邸がモデルだった。
(山本有三邸は 三鷹市下連雀二丁目 近くに玉川上水が流れている)
当時の昆虫少年たちにとって、平山修次郎は伝説的な人だった。
平山の『原色千種昆虫図譜』は手塚少年のバイブルとなった。
特に手塚少年はそこに載っていた“フトオアゲハ”という蝶に魅せられた。
「“フトオアゲハ”というのは、戦前の昆虫マニアにとっては“まぼろしのチョウ”なのである。世界でもその完全標本はほとんどない。(略)当時、このチョウを持っている人間は英雄であり、先にあげた平山修次郎氏などは、ぼくらにとって、神みたいな存在であった」(講談社版全集第383巻『手塚治虫エッセイ集』第1巻より)
そして手塚少年は、ついに宝塚から、ここ井の頭公園の平山昆虫博物館を訪ねる決心をする。
武蔵野の自然を愛するあまり
人間の開発行為を憎むY教授は
動物をそそのかして、すべての動物が人間に襲いかかる。 恐怖の世界。
人間の味方はアトムだけ。
原作では、Y教授は「よ○あ○教授」だった。
お茶の水博士が、「よ○あ○君」と呼びかける場面がある。
ところが,後に出た本では、「ねこまた教授」となっていた。
おそらく
あの団体に出版社は気をつかったのだろう。
「橋のない川」の住井すえも、あの団体から色々抗議を受けて当惑したことがある。
「破戒」の島崎藤村も生きていたらきっと抗議を受けたろう。