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[No.9520] 西洋の学問はアラビアのおかげ 投稿者:男爵  投稿日:2016/07/21(Thu) 15:56
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西洋の学問はアラビアのおかげ
画像サイズ: 640×583 (84kB)
唐辛子紋次郎さんが述べられているように
いわゆるアラビア数字( 0, 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9)は
もともとインド人が考えたのを、アラビア経由でヨーロッパに伝わったから
アラビア数字と呼ばれるようです。

三角関数も
古代ギリシャ・エジプトの成果をインド人が整理発展させ
それをアラビアの学者たちがさらに改良したものが
ヨーロッパに伝わり現在の数表ができたのです。
 正弦、余弦、正接などの用語の歴史も専門書に書かれてあります。

医学でも
イブン‐シーナー(ラテン語名、アビセンナ)は
中央アジア出身のイスラム哲学者・医学者で
アリストテレスを研究し、「治癒の書」「医学典範」を著し、中世ヨーロッパに大きな影響を及ぼしたとして有名です。


写真はウズベキスタンのブハラで見学した
イスマイール・サマニ廟(892年から943年に建設)
 中央アジアで一番古い建築 ユネスコ世界遺産
です。

当時の建築でこれだけ残ったのは、あたりを全部破壊したジンギスカンも、これが砂に埋もれていたから壊さなかったということです。
(あるいは墓だと思ったから壊さなかったという説もあります)

 古代の中央アジアでは、イラン系の人びとが多数を占めていた。
 イスラムが伝来してからも、またイラン系の人びとが優勢だった。
 9世紀から10世紀にかけてブハラを首都として栄えたサーマーン朝は
 イスラム化したイラン系の最初の王朝である。

 サーマーン朝時代のブハラで最も有力な人物といえば
 イブン・シーナー(980年 - 1037年)である。ラテン名はアビセンナ(アビケンナ)。
 ブハラ郊外で生まれた彼は、10代の若さで医学を修め
 地元の要人の子弟の病気を治療した。医学で生計をたてながら、法学なども
 学んだが、いちばん精力をそそいだのは哲学研究だった。
 サーマーン朝の滅亡後は国外に出て活躍する。


蒸溜酒、蒸留装置などもアラビア人のおかげ。 化学もアラビアの学問だった。化学用語にはアラビア語源の言葉が多い。


[No.9522] Re: 西洋の学問はアラビアのおかげ 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/07/22(Fri) 17:22
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男爵さん、夏子さん、みなさん、

現代のアラビア数字(くどいようですが、あっしらの、日常使っているアラビア数字とは異なります)では、今なお、インドのゼロ(0)と同じような数字を使っています。いつも受け売りですが、きょう本を読んでいて、小さな発見をしました。
 
 むかし、アッバース朝のころ、中央アジアに、アル・フワーリズミー☆というひとがいて、そのひとの著書に「インド数字による計算法」というのがあるそうですね。この書名こそがすべてを物語っていると思いました。

☆この人の名前がスゴイ。ちゃんと書くと、アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・イブン・ムーサ―・アル・フワーリズミーだそうで、寿限無の親戚ではないかというひともいるようです。ロシアではソヴィエト時代、このひとの功績を讃えて、記念切手も出ているそうです。