画像サイズ: 640×583 (84kB) | 唐辛子紋次郎さんが述べられているように いわゆるアラビア数字( 0, 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9)は もともとインド人が考えたのを、アラビア経由でヨーロッパに伝わったから アラビア数字と呼ばれるようです。
三角関数も 古代ギリシャ・エジプトの成果をインド人が整理発展させ それをアラビアの学者たちがさらに改良したものが ヨーロッパに伝わり現在の数表ができたのです。 正弦、余弦、正接などの用語の歴史も専門書に書かれてあります。
医学でも イブン‐シーナー(ラテン語名、アビセンナ)は 中央アジア出身のイスラム哲学者・医学者で アリストテレスを研究し、「治癒の書」「医学典範」を著し、中世ヨーロッパに大きな影響を及ぼしたとして有名です。
写真はウズベキスタンのブハラで見学した イスマイール・サマニ廟(892年から943年に建設) 中央アジアで一番古い建築 ユネスコ世界遺産 です。
当時の建築でこれだけ残ったのは、あたりを全部破壊したジンギスカンも、これが砂に埋もれていたから壊さなかったということです。 (あるいは墓だと思ったから壊さなかったという説もあります)
古代の中央アジアでは、イラン系の人びとが多数を占めていた。 イスラムが伝来してからも、またイラン系の人びとが優勢だった。 9世紀から10世紀にかけてブハラを首都として栄えたサーマーン朝は イスラム化したイラン系の最初の王朝である。
サーマーン朝時代のブハラで最も有力な人物といえば イブン・シーナー(980年 - 1037年)である。ラテン名はアビセンナ(アビケンナ)。 ブハラ郊外で生まれた彼は、10代の若さで医学を修め 地元の要人の子弟の病気を治療した。医学で生計をたてながら、法学なども 学んだが、いちばん精力をそそいだのは哲学研究だった。 サーマーン朝の滅亡後は国外に出て活躍する。
蒸溜酒、蒸留装置などもアラビア人のおかげ。 化学もアラビアの学問だった。化学用語にはアラビア語源の言葉が多い。 |