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[No.9835] 雑学「駆け落ち」 投稿者:多摩のけん  投稿日:2016/10/30(Sun) 23:14
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「駆け落ち」

現在では、両親などに結婚を反対された男女が家族の目の届かないところに行って同棲することを「駆け落ち」と言うが、本来は武士が戦いに敗れて逃げ落ちることを「駆け落ち」と言った。

武田家に伝わる軍学書「甲陽軍鑑」には、「御家中より駆け落ちの人、1人もなし」の記載がある。

    「漢字なるほど雑学辞典」日本博学倶楽部編 PHP文庫

                               多摩のけん  


[No.9836] Re: 雑学「駆け落ち」 投稿者:男爵  投稿日:2016/10/31(Mon) 05:16
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多摩のけんさん

> 現在では、両親などに結婚を反対された男女が家族の目の届かないところに行って同棲することを「駆け落ち」と言うが、本来は武士が戦いに敗れて逃げ落ちることを「駆け落ち」と言った。

矢切の渡しですね。

初め歌った”ちあきなおみ”は、そのまま(上手に)歌ったら暗かった。

その後に歌った細川たかしは、彼のノー天気性格が出ていて
明るく「矢切の渡し」を歌ったのでヒットした。                                

ちあきなおみの歌では、あの二人はどこかで心中してもう生きてはいまい(と聞く人は思った)。

細川たかしの歌では、あの二人はどこかで楽しく生きているよ、きっと。
ということになったから。

https://www.youtube.com/watch?v=rzN2TsnVTLE

ところが、この歌の作曲者船村徹は
ちあきなおみの歌が合格で、細川たかしの歌は別の歌になっていると辛口評価だった。

プロと庶民の評価は違うという例でした。 


[No.9837] カバー曲 投稿者:男爵  投稿日:2016/10/31(Mon) 14:39
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多摩のけんさん

> 矢切の渡しですね。

> 初め歌った”ちあきなおみ”は、そのまま(上手に)歌ったら暗かった。

> その後に歌った細川たかしは、彼のノー天気性格が出ていて
> 明るく「矢切の渡し」を歌ったのでヒットした。                 

似たような話で思い出すのは

「南国土佐を後にして」
1955年に鈴木三重子がレコードを出すがヒットせず。(彼女は、「愛ちゃんはお嫁に」の大ヒットあり)

1958年11月にNHK高知放送局テレビ開始の記念番組として「歌の広場」にペギー葉山が登場し歌ったことがきっかけとなり、日本全国に知れ渡った。
1959年5月にペギーの歌でキングレコードからシングル発売されると、発売からほぼ1年で約100万枚を売る大ヒットとなった。

はじめこの話が持ち込まれたとき
ペギー葉山は「私はジャズ歌手ですから」と断った。

しかし、何度もしつこく頼まれるので
しかたなく「一回だけですよ」と承知して歌ったところが
本人も驚く大反響。

おかげで、呼ばれる回数も多くなり
有名になって、自分の歌う歌の世界も広がった。


人を助けるのもいいもの。

情けは人のためならず。