多摩のけんさん > 矢切の渡しですね。 > 初め歌った”ちあきなおみ”は、そのまま(上手に)歌ったら暗かった。 > その後に歌った細川たかしは、彼のノー天気性格が出ていて > 明るく「矢切の渡し」を歌ったのでヒットした。
似たような話で思い出すのは
「南国土佐を後にして」 1955年に鈴木三重子がレコードを出すがヒットせず。(彼女は、「愛ちゃんはお嫁に」の大ヒットあり)
1958年11月にNHK高知放送局テレビ開始の記念番組として「歌の広場」にペギー葉山が登場し歌ったことがきっかけとなり、日本全国に知れ渡った。 1959年5月にペギーの歌でキングレコードからシングル発売されると、発売からほぼ1年で約100万枚を売る大ヒットとなった。
はじめこの話が持ち込まれたとき ペギー葉山は「私はジャズ歌手ですから」と断った。
しかし、何度もしつこく頼まれるので しかたなく「一回だけですよ」と承知して歌ったところが 本人も驚く大反響。
おかげで、呼ばれる回数も多くなり 有名になって、自分の歌う歌の世界も広がった。
人を助けるのもいいもの。
情けは人のためならず。
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