みなさん、こんばんは。
今年も押し詰まりました。
今年の新現象でしょうか? 百八つの除夜の鐘が喧しいと苦情が出て、夕方までに撞いてしまおう と言う寺もあるようですね。何とも凄まじい世相です。
しかし、昨今の「鐘撞き」現場の情景を思うと、その気持ちも判らない でもありません。
もう数十年も前の事ですが、大晦日の夜遅くなって、山奥の檀家寺か らの鐘の音がかすかに聞こえ出した頃、思い付いて父と一緒にそのお寺 まで行ったことがあります。
そこの住職さんはよく知っている方だったので、鐘を撞く合間に何や かんやと話している内に、一つ撞いてみないかと言われました。
もちろん大喜びで10程撞かせて頂きました。 周囲の山に吸い込まれて行くような余韻に耳を澄ませていると、信心 の薄い私も荘厳な雰囲気に包まれました。
108つの数をどうして間違えないのかも判りました。 碁石を前もって108個数えて盆の上に置き、一つ撞くごとにもう 一つの盆に置き換えていました。(^-^)
そのお寺では多分数百年前から同じようにしてきたのでしょうね。
一つ撞いてから次の一撞きまで、時間を測っているのでは無く、余韻 が殆ど聞こえなくなるまで待っていることも知りました。
撞く強さも弱すぎてはいけませんが、強すぎても音が割れるので良く ないそうです。
その後毎年撞きに行くようになっていましたが、檀家の人達に申し訳 ないような気がして誰にも言いませんでした。
それから何年も経った頃、鐘を撞いているとバイクに乗った若者が 数人ガヤガヤとやって来て、打たせてくれと言うようになりました。
あちこちの寺で撞きながら巡っているようで、一つ二つ撞くと、バイ クの排気音を響かせて、そそくさと次の寺へ移動して行きました。
年毎にその流行がエスカレートするようで、何十人もやって来るよう になり、気分も悪いのでその後は行っていません。
ある年、今の自宅の郊外の寺へ行ってみて驚きました。 境内では大きな焚き火をたいて、甘酒も振る舞っていました。
数十人の人達が並んで順番に一つずつ撞いているのです。 撞く数も行列が途絶えるまで続けているようでした。
五月蠅いのは鐘の音では無く群衆とそのバイクの騒音です。
これじゃ、近くの民家は堪りませんね。
その後は行っていません。
***** Pan *****
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