引き続き「特攻」より上記を連載いたします。 このシリーズは、特攻体験をお持ちの方、九死に一生を得られた方などの体験談を インタビュー形式で記事にしたものです。 お読みいただき 当時のいろいろな「事情」や、ご本人の正直なお気持ちなども含めて 「特攻」というものを少しでもご理解いただければ幸いです。
今日のところから「後編」になります。 いよいよ「特攻として出撃」する前村航法士はーーー 出撃する1時間か1時間半前には、ピストの前にご馳走が一杯並んでいましてね。それこそ食べたこともないようなカマボコだとか刺身だとかが、きれいに並んでいるんだけど(笑)、やっぱり駄目ですよ、食えないですよ。死ぬんだと思うとね。 しかし、前村さんは「隊長機の航法は責任重大だったので、果たして未熟な私の腕で大丈夫なのかという不安が大きかったです」と 初陣でちゃんと任務が果たせるかどうかで頭がいっぱいでいらっしゃったようです。 ーーーなお、前編は、ハイテクとは程遠い、当時の戦闘機の操縦等に関するお話で こちらも、興味深い内容です。 前編・後編とも、ぜひお読みください。
前回の、江村氏のインタビューもそうでしたが、 読んでいて、映画などで見るような「特攻出撃風景」とはかなり違うように感じます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー あ、これは特攻になるかも分かんないね、なんて話だったです。誰しもが映画で観るように天の一角を睨んで「ん!特攻やるぞ」っていうような雰囲気は全然ない(笑)。「あ、そうか、特攻か」っていうような調子です。毎日が夜間爆撃で出撃して帰って来ない者が多いから、我々だっていつ何処でどうなるか分からないわけで、 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 毎日つづく猛攻撃。 終戦が近い時期には、航空機もかなり粗悪なものになってきていて それを、旧式な航法で 短期養成で運転未熟な要員も混じえて飛ばして 敵の優秀な爆撃機に立ち向かっていくわけですから はやくいえば「毎日が特攻」だったのでしょうね。
第三回にご登場くださっている方は、あの明治神宮外苑の学徒出陣壮行会にもご出席しておられた江名武彦さんです。 私自身、あの雨の中の壮行会の模様は、ニュース映画でみた記憶があります。 海軍を志願された江名氏の、その後についてもぜひお読みください。
> 第三回にご登場くださっている方は、あの明治神宮外苑の学徒出陣壮行会にもご出席> しておられた江名武彦さんです。 今日掲載しました「余暇にアメリカ映画を観る」という箇所で、 江名さんがこんなことをおっしゃっています。 特攻といいましても、学徒出陣で、しかも海軍の場合ですと、今まで登場された方とは 少し違うように思いました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 我々は「鬼畜米英」というような憎しみの感覚はあまり持っていませんでした。どちらかというと、その頃の学生の多くは西洋文化に憧れて勉強しておりましたでしょ。ですから、そういう文化面ではアメリカとかヨーロッパに対してね、非常に親近感を持っていました。
> 第三回にご登場くださっている方は、あの明治神宮外苑の学徒出陣壮行会にもご出席> しておられた江名武彦さんです。 学徒出陣で来られている方々ーーーといっても、20才を少し出たくらいの方々でしょう。 そういう若者が、更に年下で散らなくてはならない少年たちのことを話しているのですね。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 仲間同士の会話でね、後席に乗る電信員のことを話しました。彼らは17歳、18歳なんですよ。予科練の甲の13期、乙の18期ですね。いちばん若いんです。飛行時間は我々と同じ位です。本当に可愛らしい少年なんですよ。どうして海軍は、この子達を殺さなきやいけないのか。電信員を連れて行かなくてもいいじゃないかと語り合いました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー