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[No.137] 大塚女子アパートメント物語 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/19(Sat) 07:52
[関連記事

川口明子:
大塚女子アパートメント物語
オールドミスの館にようこそ

建物内部の写真も載っている。

第一章 モダンガールのご出勤
 月給五十円以上のキャリアウーマン
 襖で仕切られた生活からの脱出
 「おひとり様」にとって快適な空間
 ドア1枚で守られたプライバシー
第二章 同潤会を悩ませた主張する女たち
 モダンガール=不良少女?
 スキャンダラスな「丸ビル魔女」
 モダンガールは社会運動でなく、個人の選択だった
第三章 この人たちのシングル・ライフ
 時代の先端を突っ走って
 谷崎潤一郎の妻になれなかったモダンガール
 「神」でもなく「玩具」でもなかった女
第四章 バイオリニストを育てた異国の住人 
 革命が連れてきたロシア人一家
 バイオリニストの揺籃となった部屋
 戦争がユートピアを侵蝕する
第五章 怪しい女やフェミニストが蠢く美しい廃墟
 エリートの住まいから低所得者の住まいに
 転がりこんできたフェミニズムのリーダー
 「あんなところにいるから病気になる」

女の敵は女  同性の目は厳しく温かい。


[No.182] Re: 大塚女子アパートメント物語 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/22(Tue) 11:27
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> 川口明子:
> 大塚女子アパートメント物語
> オールドミスの館にようこそ

> 第四章 バイオリニストを育てた異国の住人 
>  革命が連れてきたロシア人一家
>  バイオリニストの揺籃となった部屋

日本のヴァイオリン教育に功績のあった小野アンナ
アンナは
ペトログラードで日本人留学生・小野俊一(ロシア文学者・生物学者・昆虫学者・社会運動家)と出逢い、結婚それから革命下のロシアを離れ、東京にきた。
長男の俊太郎を出産後、音楽の早期教育をほどこすが、俊太郎が虫垂炎で少年期に夭折したため、俊一との関係もうまくいかなくなり離婚した。

その後も長らく「小野アンナ」名義で日本でヴァイオリン教師として教鞭を執り、戦後は武蔵野音楽大学で後進を指導するかたわら、請われて桐朋学園子どものための音楽教室にも務めた。1958年に、姉ワルワーラとともにソ連に渡り、グルジアのスフミ音楽院にてヴァイオリン科教授に就任した。
 小野俊一は離婚後もアンナを世話したが、1958年に亡くなったので、彼女はソ連に帰っていった。

小野アンナは、音楽教室の主宰者としてだけでなく、早期英才教育の唱導者としても知られた。また、1961年の『ヴァイオリン音階教本』(音楽之友社刊)は、理論的・体系的なヴァイオリン教本の一つとして、日本のヴァイオリン学習者に愛用されている。

日本人女性ヴァイオリニストの生みの親と呼ばれたように、戦前には諏訪根自子や巌本真理を、戦後は前橋汀子や潮田益子らを輩出した。
さらには
男性ヴァイオリニストの浦川宜也、石川希峰に加えて、商業音楽の作曲家三木鶏郎など幅広い逸材を世に送った。
小野アンナ門下には、音楽大学の教授や指揮者として活躍する人物も多い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A

離婚したアンナを心配して
小野俊一が彼女を大塚女子アパートメントに入れた。
実はアンナの母親もすでに大塚女子アパートメントに入居していた。
戦争が進むと外国人たちは長野や東北に強制移住させられ、アンナも軽井沢に疎開したが
終戦後にまた大塚女子アパートメントに戻ってきた。