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[No.15] 人獣裁判 投稿者:   投稿日:2011/11/02(Wed) 10:22
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下記の本は ある意味で 若き日のボクの思想形成に少からず
影響を与えたと言える本です。

ヴォルコール著「人獣裁判」

これは ニューギニアの奥地で猿とも人とも分別できない
奇妙な生物が発見される。生物学会では「人か、猿か」で
論争されるが結論がでないまま立ち消えになる。

そこである新聞記者が妻の了解の基、その生物の♀と交わ
り赤ん坊を生ませ、自宅に連れ帰り育てる。
その子がある程度成長した段階で 彼はその子を刺殺し
警察に自首する。

さあ警察は困った。彼は殺人を犯したのか。その認否する
には その生物が人か猿かを判定しなければならない。
そこで法曹界に端を発して生物界・宗教界そしてジーナリズム
などに ふたたび結論をなおざりにできない論争が巻き起こる。

さてその結論は如何に??


             瀬里恵


[No.113] Re: 人獣裁判 投稿者:男爵  投稿日:2011/11/16(Wed) 10:36
[関連記事

瀬里恵さん、みなさん  こんにちは

> 下記の本は ある意味で 若き日のボクの思想形成に少からず
> 影響を与えたと言える本です。
>
> ヴォルコール著「人獣裁判」

これに直接のコメントは難しいので
関連して思ったことなど書いてみます。

われわれが何気なく考えている基準というか倫理観は
違う民族や国民からすれば、おかしいと思われることがありそうです。

間引き 堕胎 離婚
これらは、あるローカルな世界では状況によってはやむをえないとされる場合もあるし
そうではなくて絶対許されないと考えられている社会もあります。

われわれが常識と考えて疑わないことでも
別の立場から見ればそうではないということになりそうです。

そういうときには
宮沢賢治の「フランドン農学校の豚出」を思い出します。

 フランドン農学校で飼われている豚は、人間に劣らぬ知能や会話能力があり
 農学校の生徒から金石など以外なら何でも脂肪に蓄えることのできる自分の体を白金と並べられる(残飯を食べて脂肪や栄養素をつくるから一種の触媒)ことに満足を感じて幸福に生きていた。
 ある日、家畜を殺すにはその家畜から承諾書を取らなければいけないという法律が作られ
 農学校の家畜である豚は学校長から死亡承諾書に印を押すことを強いられる。
 自分が何時の日か殺されてしまうことを知った豚の苦しみ。