> 山内ジョージ:トキワ荘最後の住人の記録
石ノ森章太郎も藤子不二雄も赤塚不二夫もみんな書いているが トキワ荘の漫画家たちは、他の人が人気漫画家になっても嫉妬せず 忙しいときは助け合ったりして良い関係をつくってきた。
赤塚不二夫は上京して最初は町工場で働いていたとき よこたとくおと一緒に暮らした時期があった。 よこたとくおは漫画家としては成功した漫画家であろう。
赤塚不二夫はそれから 上京してきた石ノ森章太郎の世話をする。 石ノ森章太郎は一人では食事もつくられないで 食中毒で苦しんでいたのだ。 みかねて赤塚不二夫は食事の世話などする役に徹した。 三歳年上の赤塚はこうして石ノ森の手伝いをしながら 漫画家としてチャンスが与えられるまで待っていた。
でも二人の友情はそれまでも変わらなかったし、赤塚が漫画家として 成功していってもかわらなかった。 石ノ森は当時の赤塚の親切をいつまでも忘れず感謝して書いている。
この本では おそまつ君のなかのイヤミの誕生やデカパンなどのキャラクターは 高井研一郎によるものであることが書かれてある。 自分ひとりの力の限界をわきまえて、まわりのみんなの協力を得て 赤塚漫画のキャラクターなど増やしていった赤塚のプロデューサー的才能。 みんなは赤塚の仁徳だとたたえるのだが。 たしかに世話好きの赤塚は、あのタモリの世話もしたことがあるのだ。 タモリの芸能界成功に赤塚不二夫のはたした功績は大きい。
赤塚漫画は曲線で丸っこい顔のキャラクターたち それに対し、イヤミは高井研一郎が最初にイメージを書いたから鋭角的だった。 その鋭角的な線は、高井は加藤芳郎の影響だったと述べている。 そのことも加藤芳郎に話したという。 「イヤミの線は加藤先生の影響を受けているんです」
|