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[No.368] シチリアにはまった女 投稿者:   投稿日:2011/12/02(Fri) 11:37
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シチリアにはまった女
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 世の中にシチリアを賛美する人も多いだろうが、このひとは変わっている。もともと西洋史学が専門で、慶応から南ドイツのフライブルク大学へ留学した。ここではドイツ近代史の研鑽に励んでいたそうである。

 ところがである、あるひ彼女の耳元で悪魔のささやきが聞こえた。そのあとにゲーテの声で、やはりイタリア賛美のことばがつづいたのだ。

 彼女は取るものもとりあえず、イタリアへ旅立った。そうして、ゲーテはドイツへ帰国したのだが、かのじょの方は、ついにイタリアからドイツに戻ることはなかった。

 住まいは北イタリアだが、ついに「シチリア島の物語」なるシチリア賛美の本まで書いてしまった。

 副題と云うか、タイトルの頭に「ゲーテが愛したイタリアの太陽」とある。ゲーテはシチリアばかりを愛したわけでもないが…。(*^_^*)

 目次からキーワードを拾うと、『パレルモ』は『千年にわたるシチリアの都』であり、タオルミーナはシチリアのディズニーランド』だそうだし、ゲーテがスキップしたシラクーサを称賛し、最後に『シチリアなしのイタリアは考えられない』と極言する。

 本書には美しいカラー写真がふんだんに収められ、歴史家の目から見た文章も非常に示唆に富んでいる。

 ぜひ一読を、お勧めしたい。

 * 寺尾佐樹子「ゲーテが愛したイタリアの太陽 シチリアの物語」


[No.369] Re: シチリアにはまった女 投稿者:男爵  投稿日:2011/12/02(Fri) 14:12
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Re: シチリアにはまった女
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唐辛子 紋次郎さん

>  世の中にシチリアを賛美する人も多いだろうが、このひとは変わっている。もともと西洋史学が専門で、慶応から南ドイツのフライブルク大学へ留学した。ここではドイツ近代史の研鑽に励んでいたそうである。

>  目次からキーワードを拾うと、『パレルモ』は『千年にわたるシチリアの都』であり、タオルミーナはシチリアのディズニーランド』だそうだし、ゲーテがスキップしたシラクーサを称賛し、最後に『シチリアなしのイタリアは考えられない』と極言する。

シラクサ出身の最も有名な人といえばアルキメデスですね。

彼の発明品の中には、第二次ポエニ戦争におけるローマによるシラクサの包囲に対抗するための軍事兵器もあった。
アルキメデス考案の兵器はローマ軍を大いに苦しめ、シラクサは3年間持ちこたえたが、紀元前212年に陥落した。
落城の際、ローマの将軍はアルキメデスを殺さぬよう厳命していたが、アルキメデスを知らないローマ兵によって殺された。

およそ30年前
2ヶ月の語学研修の終わり頃、フライブルクの南のシュタウフェンに1日の
楽しい旅行をした。
 あのシチリア島からきた青年も一緒でした。

シュタウフェンの町のレストランの壁画。これはファウスト博士と悪魔の絵という。