> (ベティ・パオ・ロード、金美齢訳、中国の悲しい遺産、草思社)
著者は、限られた期間に北京にいたのに、どうして文化大革命の被害者(加害者)の経験をかくもたくさん聞き出すことができたのだろうか。
アメリカ大使公邸には、中国政府がマイクを仕掛けてあると信じ込んでいるにもかかわらず、 私に平気で録音させてくれた。 何人かの人が気を遣っていたのは、指導者たちの批判をするときは直接その名前を口にしないということだけだった。 そういう人たちは、暗号を使った。 人差指で顎のほくろを指差すと、それは毛沢東のことで、手を腰に当てるとケ小平、「皇太子」と言えばその息子....というぐあいである。
自分の過去を話してくれた何十人という元紅衛兵の中で暴力をふるったことを認めたのは、二人だけだった。 そんな過去をあえて認めたのは、正直に言ったほうが友情を深めることができるということのほかに、文化大革命の真実が忘れられてはならないという思いがあったからだった。 彼らは、知識は、来るべき世代に社会の害悪に対する免疫をつけさせると信じていたのだ。 また、あの恐るべき時代の全貌を明らかにする本を中国人が書くということは、おそらくありえないだろうと考えていた。 そんな本は著者が無意識のうちに修正してしまうか、当局が検閲するかのどちらかだ。 彼らは、それを私に書いてほしいと望んでいた。 多くの中国人と同じように、回り道が結局は一番いい結果を生むと信じていたからだ。 もし私が書いた本が外国で読まれるようになったら、必ず翻訳されて中国人が読めるようになるはずだ。 人民共和国の人民が中国語でその種の本を書いたら、修正されるだけではすまない。
わずか2名でも隠さず報告した中国人がいたことはすばらしい。少し救われた気持ち。
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