池上彰の本 東日本大震災 心をつなぐニュース
あの東日本大震災のとき さまざまな人間ドラマが生まれた。
悲劇の中でも、人間としての尊厳や精神の気高さを感じさせるドラマが数多くあった。 濁流の中に飛び込んで、よその母子を助けた男性 ダンプカーの荷台に住民を乗せて、避難所との間を何度も往復した運転手 防災無線で住民に避難を呼びかけながら、自分は犠牲になってしまった役場の職員 これをテレビの再現ドラマで見せられても感動はしないだろう。 ところが、活字で読むと、まぶたの裏に人々の姿が生き生きと浮かび上がり、人は感動するものである。 活字には、そんな力がある。
仙台に本社のある河北新報社は、新聞制作の頭脳となるべきシステムのサーバが倒れ、社内で紙面を制作することができなくなった。 そこで乗り出したのが、新潟日報だった。やはり緊急時の相互支援協定を結んでいたのである。 河北新報は、記事のデータを新潟に送信。新潟日報の制作サーバを使用して紙面を作ると、紙面データは再び仙台に送り届けられ、河北新報の社内で印刷。3月11日の午後10時、仙台駅前で「宮城 震度7」の見出しの号外が配られた。
山形新聞は印刷ができなくなり、新潟日報に翌日朝刊の印刷を打診。新潟日報のトラックが、県境を越えて山形に新聞を運んだ。
石巻日日新聞は津波で社屋が水没。輪転機が使えなくなった。 記者は水没を免れた新聞用紙にサインペンで記事を書き込んだ。停電のため、懐中電灯を使っての作業だった。 完成した壁新聞は、号外として市内の避難所六か所に張り出した。 その後、3月20日付から古い輪転機を再稼働させて印刷を続けた。 この話は「ワシントン・ポスト」が報じたことから、ワシントンにあるニュースの総合博物館「ニュージアム」に歴史的紙面として展示されることになった。
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