唐辛子 紋次郎さん
> 独逸より大きかったオーストリア、なぜに矮小化してしまったか。それはいつに積分発想の権化ひげのフランツことフランツ・ヨーゼフ皇帝の失敗によるとみる。領土は小さくなったが、国民は世界中から愛されるようになったともいう。
オーストリアは神聖ローマ帝国を最後までひきずってきた。 この神聖ローマ帝国というのは形だけ帝国で、その実態は地方地方で民族も習俗もばらばらだった。 プロイセンとオーストリアが一つにまとまるかという話もあったが 東欧(ハンガリーやユーゴスラビアみたいな国や民族)をふくむオーストリアと、ゲルマン民族だけのプロイセンとでは 歴史も異なり、文化も微妙に違うからまとまれなかった。 普墺戦争は、1866年に起こったプロイセン王国とオーストリア帝国との戦争。 この戦争によってドイツ統一はオーストリアを除外してプロイセン中心に進められることになった。
>フランスは > 第二次大戦では、敵方ドイツに対し、時間遅れ発想が功を奏し、逆転勝利を勝ち取った。しかし、敵のいなくなったいま、昔日の元気がないとみる。
ナポレオンのときはともかく その後はいつもフランスはドイツに負けていた。 第二次世界大戦もアメリカのおかげでフランスは戦勝国になったようなもの。
しかし、いつまでもドイツとフランスで争っていたら 成り上がりのアメリカに牛耳られるから ヨーロッパの栄光をとりもどすために フランスとドイツは手を組んでEUをつくったのだと私は思います。
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