画像サイズ: 732×616 (55kB) | 唐辛子 紋次郎さん
> あっしが列車でフランスからイタリアへ入ったのは、サンゴッタルド峠からだったが、ゲーテは馬車でブレンネル峠を越えて入国したようです。
ゲーテはカール・アウグスト公からの招請を受け、その後永住することになるヴァイマル公国に行った。
アウグスト公は当時まだ18歳で、父アウグスト2世は17年前に20歳の若さで死亡し、代りに皇太后アンナ・アマーリア(アウグスト公の母親)が政務を取っていた。
26歳のゲーテはアウグスト公から兄のように慕われ、王妃からの信頼も厚く、また先輩詩人ヴィーラントを始め多くの理解者に囲まれ、幸せだった。
やがて、ゲーテは公国の閣僚となりこの地に留まることになる。 ゲーテをこの地にもっとも強く引き付けたのはシャルロッテ・フォン・シュタイン夫人との恋愛であった。
それから10年間、シュタイン夫人との恋愛が続き、ゲーテは政務に没頭した。 ゲーテは着実にヴァイマル公国の政務を果たし、1782年には神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世により貴族に列せられヴァイマル公国の宰相となった。
1786年、ゲーテはアウグスト公に無期限の休暇を願い出、9月にイタリアへ旅立った。 ゲーテにとってイタリアはかねてからの憧れの地であった。 出発時ゲーテはアウグスト公にもシュタイン夫人にも行き先を告げておらず、イタリアに入ってからも名前や身分を偽って行動していた。
ゲーテはまずローマに宿を取り、その後ナポリ、シチリア島などを訪れ、結局2年もの間イタリアに滞在していた。 ゲーテはイタリア人の着物を着、イタリア語を流暢に操りこの地の芸術家と交流した。その間に友人の画家ティシュバインの案内で美術品を見に各地を訪れ、特に古代の美術品を熱心に鑑賞した。
☆ ☆ ローマ近郊におけるゲーテの肖像(ティシュバイン画)
この絵を見にフランクフルトの美術館に行ったら フェルメールの地理学者があった。 |