[No.481]
遠藤周作
投稿者:男爵
投稿日:2011/12/07(Wed) 16:43
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遠藤周作:(作品は何にしようか)
「シュッ、マッチ。ポッ、ケムリ。タバコ、ノミタイナ」
九歳の子どもが書くには、あまりにませたポエムだが、
このころから、その鬼才ぶりを発揮していた。
これは、作家遠藤周作の幻の”処女作”。
父、常久の転勤で旧満州の大連にいた昭和七年、地元の日本語新聞
の少年文芸欄に掲載された。
母は幸田露伴の妹、安藤幸とともに著名な外国の音楽家の弟子で、
東京芸大でバイオリンを学んだ。二歳年上の兄正介は、学生時代常に
開校以来の秀才として誉れ高かった。一方、エリートー家に育った周作は、
学校の成績も悪く、友人も少なく、動物と戯れる日が多かったという。
”できが悪い”と言われた周作の能力を信し、励ますことをやまなかった
のは母の郁だった。「あなたには、みんなにはない素晴らしい才能があるのよ」。
周囲も羨ましがるほどの優秀な長男、正介と決して比較することはなかった。
遠藤をカトリック作家として大成させたのも母の影響。母を通して
十二歳で洗礼を受けたそのカトリック体験は、遠藤文学の根幹をなし、
人間のずるさ、弱さ、孤独を生涯みつめ続けさせた。
エリートー家の”醜いアヒルの子”から、大空に舞う美しい白鳥に
育てたのは「白分を信じなさい」という母の一言だった。
家庭崩壊、教育荒廃などで自らを見失い、焦燥感にかられる若者が
増えている。こんな一言で未来の”命”を蘇らせ、息を吹き返らせることが
できるのではないのか。
(遠藤周作を白鳥に育てた、東京コラム、産経新聞 1998.5.31)