[No.675]
Re: 千年震災
投稿者:男爵
投稿日:2011/12/20(Tue) 17:05
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歴史の舞台から消えた鯰絵
安政江戸地震は、町人の死者が4000人余、武家の死者を加えれば
死者の合計が1万人にもなるという、江戸開府以来の大災害であった。
この地震でもっとも悲惨な被害にあったのは遊廓の吉原であった。
出入り口が大門(おおもん)一箇所だけなので、地震がひとたび起きると
中の遊女たちはたちまち逃げ場を失い、江戸で最も集中的に死者を出した。
彼女らの遺体は三ノ輪の投げ込み寺・浄閑寺の境内に身元不明のまま集められ葬られた。
(投げ込み寺・浄閑寺には地震とは関係なく病気や寿命で亡くなった遊女たちの墓がある)
当時の鯰絵「しんよし原大なまづゆらひ」(新吉原鯰由来)には、哀れにも
地震の最大の犠牲者となった遊廓の遊女たちが描かれ、他の業種の人びとと
共に地震を起こしたにっくきナマズを懲らしめているのである。
しかし、2,3カ月たち、江戸市民が落ち着きを取り戻しはじめると
復興景気のため大工職や左官職などの懐に銭が潤ってきた。
すると、彼らは遊廓で生き残った遊女たちのもとへ出かけ、遊女たちも
潤うようになってきた。
このような世情を反映して、後期は地震鯰に感謝し、さらに世直しの期待を
連想させるような絵柄の鯰絵が描かれるようになる。
この葉運を敏感に察知した幕府は、ただちに鯰絵の制作販売を禁じた。
鯰絵はわずか3カ月あまりの大ブームののち、幕府の弾圧によって
急に歴史の舞台から消滅したのである。
この本には東大地震研所所蔵の「(巨大)ナマズを懲らしめる吉原の遊女たち」の絵が載っている。