画像サイズ: 698×538 (85kB) | エルザスのコルマー
もともと神聖ローマ帝国の自由都市なので、住民はドイツ人でドイツ語を話していた。
ところが、宗教戦争の三十年戦争で、フランスが自国領にした。 (ドーデー「最後の授業」では、普仏戦争でフランスが負けたから、フランス語が使えるのは今日までで、明日からはドイツ語を使わなくてはならないと言われた少年の話ですが、エルザス人の先祖は、それまで使っていたドイツ語を禁止され、フランス語を公用語とされたのです)
(ドーデーは自分の出身地の言葉を禁止され、公用フランス語を使うように命令された出身地の人々の苦しみを、舞台を変えて書いたのです。巧妙といえば巧妙でした)
そういうわけで フライブルクからライン川を越えて西に行くと、コルマーに行かれます。 語学学校の先生から、ぜひコルマーに行くように勧められたので 行ったことがあります。
直通の通勤バスがあったようですが乗り場などわからず 列車でシュトラスブルク経由で遠回りして行きました。 (四辺形の一辺だけ行くところを、他の三辺を通って行った)
行ったみたら、教会とか建物はフライブルクそっくり。 町の博物館に行くと、昔のエルザス語はドイツ語だったと資料が展示されてあります。
歩く人の顔もフランス人ではなく,ドイツ人みたいな人ばかり。 向こうから来たお祖母さんと孫娘に、道を尋ねてドイツ語で聞いたら、ドイツ語で教えてくれた。
ズーパーマーケットのおばさんもドイツ語が通じた。 (フランス語を話さないと冷たくされる感じのパリとは大違い)
コルマーで買ってきた絵はがきと同じ民族衣装の絵のついたお菓子を 買って食べています。 プレッツェル (プリッツ)
コルマー出身の彫刻家バルトルディは、アメリカの自由の女神をつくったが 世界に活躍したフランスの将軍をたたえる彫刻も作ったのです。
幼き日のシュバイツァーは、コルマーの広場にある この将軍をたたえる彫刻の足元で 支配されてうなだれている黒人像を見て、 将来アフリカに渡って、 原住民を医学で助けようと決心するわけです。
シュバイツァーの伝記本には、必ず出てくる将軍と黒人像です。 |