[掲示板へもどる]
一括表示

[No.5608] フライブルクの思い出 投稿者:男爵  投稿日:2017/08/22(Tue) 18:36
[関連記事

フライブルクの思い出
画像サイズ: 625×311 (34kB)
南ドイツの町フライブルク

そこには大学や音楽学校があり
たくさんの日本人たちが学びに行っていました。

これはフライブルク駅ですが
今は新しくなったでしょうか。


[No.5609] Re: フライブルクの思い出 投稿者:男爵  投稿日:2017/08/22(Tue) 18:39
[関連記事

Re: フライブルクの思い出
画像サイズ: 500×328 (39kB)
> これはフライブルク駅ですが
> 今は新しくなったでしょうか。

駅の近くに
鉄道を越えて陸橋がかかっていました。

向こうに教会が見えるのは、いかにもドイツの町の風景らしいです。


[No.5613] Re: フライブルクの思い出 投稿者:男爵  投稿日:2017/08/23(Wed) 05:05
[関連記事

Re: フライブルクの思い出
画像サイズ: 500×307 (42kB)
> 南ドイツの町フライブルク

これは
吊り床版橋という新しい形式の橋です。

専門誌に紹介されたのを見たことがあります。


[No.5617] Re: フライブルクの思い出 投稿者:男爵  投稿日:2017/08/25(Fri) 05:19
[関連記事

Re: フライブルクの思い出
画像サイズ: 450×290 (45kB)
> 南ドイツの町フライブルク

フライブルクの町中を走る電車は
2両連結あるいは3両連結です。

郊外にはバスも走っています。


[No.5618] Re: フライブルクの思い出 投稿者:男爵  投稿日:2017/08/27(Sun) 13:54
[関連記事

Re: フライブルクの思い出
画像サイズ: 500×308 (46kB)
>> 南ドイツの町フライブルク

>フライブルクの町中を走る電車は
>2両連結あるいは3両連結です。

これは3両連結です。
広告が目立ちますが、楽しい電車です。


[No.5619] Re: フライブルクの思い出 投稿者:男爵  投稿日:2017/08/28(Mon) 05:06
[関連記事

Re: フライブルクの思い出
画像サイズ: 357×500 (51kB)
> 南ドイツの町フライブルク

ヨーロッパの町は昔は城壁で取り囲まれていました。
パリもウィーンも城壁があったのですが、(町の発展のために)取り壊してしまいました。

ローテンブルクなどは、わざわざ城壁を残している歴史的な都市なわけです。

ここフライブルクも城壁があったのですが取り壊され
城門のいくつかは保存されています。

その城門を電車やバスがくぐり抜けるのを見ることができます。


[No.5621] Re: フライブルクの思い出 投稿者:男爵  投稿日:2017/08/29(Tue) 04:45
[関連記事

Re: フライブルクの思い出
画像サイズ: 300×429 (24kB)
> ここフライブルクも城壁があったのですが取り壊され
> 城門のいくつかは保存されています。

> その城門を電車やバスがくぐり抜けるのを見ることができます。

電車が通るための線路が見えます。


[No.5622] Re: フライブルクの思い出 投稿者:男爵  投稿日:2017/08/29(Tue) 04:59
[関連記事

Re: フライブルクの思い出
画像サイズ: 317×475 (43kB)
> ここフライブルクも城壁があったのですが取り壊され
> 城門のいくつかは保存されています。

> その城門を電車やバスがくぐり抜けるのを見ることができます。

このサイトには、フライブルク市内の写真がいっぱい
http://deo.o.oo7.jp/europe/Freiburg/Freiburg.html

どうやら私のいた時からずっと時間がたっています。
町の骨格はほとんど変わらないのですが....


[No.5623] Re: フライブルクの思い出 投稿者:男爵  投稿日:2017/08/30(Wed) 05:20
[関連記事

Re: フライブルクの思い出
画像サイズ: 500×338 (49kB)
> 南ドイツの町フライブルク

当時でも、フライブルクの市街地は歩行者天国のようでした。

マイカー乗り入れ禁止。
町の中心部には、公共交通機関の電車とバスとタクシーしか走らない。


[No.5624] Re: フライブルクの思い出 投稿者:男爵  投稿日:2017/08/30(Wed) 05:23
[関連記事

Re: フライブルクの思い出
画像サイズ: 284×400 (32kB)
> > 南ドイツの町フライブルク

> 当時でも、フライブルクの市街地は歩行者天国のようでした。

> マイカー乗り入れ禁止。

ここで車から降りて
歩いて町中に行きましょう
というわけです。


[No.5627] Re: フライブルクの思い出 投稿者:男爵  投稿日:2017/08/31(Thu) 04:31
[関連記事

Re: フライブルクの思い出
画像サイズ: 500×328 (39kB)
>当時でも、フライブルクの市街地は歩行者天国のようでした。

>マイカー乗り入れ禁止。
>町の中心部には、公共交通機関の電車とバスとタクシーしか走らない。

ここは
銀座の四丁目か浅草なら雷門の前
そういうところに相当する場所で
フライブルクの町中で一番人の集まるところでした。

電車やバスしかないので、ゆっくり歩いて楽しめます。


[No.5628] Re: フライブルクの思い出 投稿者:男爵  投稿日:2017/09/01(Fri) 18:16
[関連記事

Re: フライブルクの思い出
画像サイズ: 342×500 (37kB)
> 南ドイツの町フライブルク

町の広場にたつ大聖堂

フライブルクの誇るゴシック教会です。


[No.5645] Re: フライブルクの思い出 投稿者:男爵  投稿日:2017/09/12(Tue) 08:34
[関連記事

Re: フライブルクの思い出
画像サイズ: 327×500 (46kB)
> > 南ドイツの町フライブルク
>
> 町の広場にたつ大聖堂
>
> フライブルクの誇るゴシック教会です。

こちらは大聖堂の下部の法です。

あまり大きいから
全体を一度に写すのは困難です。


[No.5629] Re: フライブルクの思い出 投稿者:男爵  投稿日:2017/09/02(Sat) 05:18
[関連記事

Re: フライブルクの思い出
画像サイズ: 500×327 (45kB)
>> 南ドイツの町フライブルク

>町の広場にたつ大聖堂

土地の人たちは、ミュンスターと呼ぶのです。

毎日のように
塔の上まで登りました。


[No.5630] Re: フライブルクの思い出 投稿者:男爵  投稿日:2017/09/03(Sun) 05:14
[関連記事

Re: フライブルクの思い出
画像サイズ: 500×326 (47kB)
>>町の広場にたつ大聖堂

>土地の人たちは、ミュンスターと呼ぶのです。

>毎日のように
>塔の上まで登りました。

らせん階段を登り
下を見ると
その高いことが実感できます。


[No.5631] Re: フライブルクの思い出 投稿者:男爵  投稿日:2017/09/04(Mon) 04:18
[関連記事

Re: フライブルクの思い出
画像サイズ: 500×352 (47kB)
> 南ドイツの町フライブルク

こんどは墓地です。

私の尊敬する某研究者ですが
外国に行ったら、その町の墓地を必ず訪れるそうです。

人が死んだら埋葬される墓地
墓地はその民族や生活伝統などの文化が集約されるところなので
都市計画を研究するには必ず見るべき所なんだそうです。


[No.5632] Re: フライブルクの思い出 投稿者:男爵  投稿日:2017/09/04(Mon) 16:39
[関連記事

Re: フライブルクの思い出
画像サイズ: 484×256 (51kB)
>> 南ドイツの町フライブルク

>こんどは墓地です。

>私の尊敬する某研究者ですが
>外国に行ったら、その町の墓地を必ず訪れるそうです。

ドイツは土葬なので
畳一枚分の土地が必要のようです。


[No.5633] Re: フライブルクの思い出 投稿者:男爵  投稿日:2017/09/05(Tue) 07:11
[関連記事

Re: フライブルクの思い出
画像サイズ: 486×249 (48kB)
>私の尊敬する某研究者ですが
>外国に行ったら、その町の墓地を必ず訪れるそうです。

花が多いと思いました。

誕生日と命日を見ると
たいていのドイツ人は長生きのようです。80歳から90歳までが多かった。


[No.5646] バーゼル 投稿者:男爵  投稿日:2017/09/12(Tue) 17:32
[関連記事

バーゼル
画像サイズ: 985×673 (77kB)
> 南ドイツの町フライブルク

フライブルクから
みんなで汽車に乗って
スイスのバーゼルに行ったことがあります。

バーゼルは,スイスとドイツとフランスの国境の町です。

汽車を降りるとドイツの検問があり、それを通過するとスイスの入国審査がありました。
パスポートを見せるだけですが。(スタンプは押されません)


[No.5647] Re: バーゼル 投稿者:男爵  投稿日:2017/09/12(Tue) 17:35
[関連記事

Re: バーゼル
画像サイズ: 867×619 (82kB)
>フライブルクから
>みんなで汽車に乗って
>スイスのバーゼルに行ったことがあります。

美術館に行きました。

おなじみのものばかり。


[No.5648] Re: バーゼル 投稿者:男爵  投稿日:2017/09/12(Tue) 17:39
[関連記事

Re: バーゼル
画像サイズ: 500×336 (32kB)
> 美術館に行きました。
>
> おなじみのものばかり。

この彫刻は上野の西洋美術館にもあります。

同じ角度からの写真なら、なおわかるでしょうが
いつも人が集まっているところです。


[No.5649] Re: バーゼル 投稿者:男爵  投稿日:2017/09/13(Wed) 04:29
[関連記事

Re: バーゼル
画像サイズ: 842×518 (64kB)
>>フライブルクから
>>みんなで汽車に乗って
>>スイスのバーゼルに行ったことがあります。

>美術館に行きました。

>おなじみのものばかり。

他の博物館も見学して
価値のあるものばかり集めているスイスは
お金持ちという印象を受けました。


[No.5650] Re: バーゼル 投稿者:男爵  投稿日:2017/09/14(Thu) 05:06
[関連記事

Re: バーゼル
画像サイズ: 619×391 (22kB)
>>フライブルクから
>>みんなで汽車に乗って
>>スイスのバーゼルに行ったことがあります。

>美術館に行きました。


美術館は無料になっていました。

ドイツの美術館でも、やはり無料の美術館がありました。


[No.5651] コンスタンツ 投稿者:男爵  投稿日:2017/09/16(Sat) 12:43
[関連記事

コンスタンツ
画像サイズ: 576×327 (18kB)
> 南ドイツの町フライブルク

フライブルクから列車に乗って
コンスタンツに行きました。


[No.5652] Re: コンスタンツ 投稿者:男爵  投稿日:2017/09/16(Sat) 12:47
[関連記事

Re: コンスタンツ
画像サイズ: 369×599 (21kB)
>> 南ドイツの町フライブルク

>フライブルクから列車に乗って
>コンスタンツに行きました。

コンスタンツは国境の町
コンスタンツ湖(ボーデン湖)があります。


[No.5653] Re: コンスタンツ 投稿者:男爵  投稿日:2017/09/16(Sat) 12:59
[関連記事

Re: コンスタンツ
画像サイズ: 576×334 (30kB)
>>フライブルクから列車に乗って
>>コンスタンツに行きました。

>コンスタンツは国境の町
>コンスタンツ湖(ボーデン湖)があります。


ライン川の源流がボーデン湖に入り
ボーデン湖から流れる国際河川のライン川は
ドイツ・フランスの国境にそって北に向かい
カールスルーエの南からドイツ国内を流れ
ボン、ケルン、デュッセルドルフ、デュースブルクなどを通過して
オランダへ流れるわけです。


[No.5678] コルマー 投稿者:男爵  投稿日:2017/10/20(Fri) 20:10
[関連記事

コルマー
画像サイズ: 698×538 (85kB)
エルザスのコルマー

もともと神聖ローマ帝国の自由都市なので、住民はドイツ人でドイツ語を話していた。

ところが、宗教戦争の三十年戦争で、フランスが自国領にした。
(ドーデー「最後の授業」では、普仏戦争でフランスが負けたから、フランス語が使えるのは今日までで、明日からはドイツ語を使わなくてはならないと言われた少年の話ですが、エルザス人の先祖は、それまで使っていたドイツ語を禁止され、フランス語を公用語とされたのです)

(ドーデーは自分の出身地の言葉を禁止され、公用フランス語を使うように命令された出身地の人々の苦しみを、舞台を変えて書いたのです。巧妙といえば巧妙でした)

そういうわけで
フライブルクからライン川を越えて西に行くと、コルマーに行かれます。
語学学校の先生から、ぜひコルマーに行くように勧められたので
行ったことがあります。

直通の通勤バスがあったようですが乗り場などわからず
列車でシュトラスブルク経由で遠回りして行きました。
(四辺形の一辺だけ行くところを、他の三辺を通って行った)

行ったみたら、教会とか建物はフライブルクそっくり。
町の博物館に行くと、昔のエルザス語はドイツ語だったと資料が展示されてあります。

歩く人の顔もフランス人ではなく,ドイツ人みたいな人ばかり。
向こうから来たお祖母さんと孫娘に、道を尋ねてドイツ語で聞いたら、ドイツ語で教えてくれた。

ズーパーマーケットのおばさんもドイツ語が通じた。
(フランス語を話さないと冷たくされる感じのパリとは大違い)

コルマーで買ってきた絵はがきと同じ民族衣装の絵のついたお菓子を
買って食べています。 プレッツェル (プリッツ)


コルマー出身の彫刻家バルトルディは、アメリカの自由の女神をつくったが
世界に活躍したフランスの将軍をたたえる彫刻も作ったのです。

幼き日のシュバイツァーは、コルマーの広場にある
この将軍をたたえる彫刻の足元で
支配されてうなだれている黒人像を見て、
将来アフリカに渡って、
原住民を医学で助けようと決心するわけです。

シュバイツァーの伝記本には、必ず出てくる将軍と黒人像です。