[No.5368]
Re: 麻布十番の赤い靴
投稿者:男爵
投稿日:2017/03/30(Thu) 18:54
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> 女の子の名は「岩崎きみ」。
> 明治35年(1902)7月15日、日本平の麓、静岡県旧不二見村(現 静岡市清水区宮加三)で生まれました。
>
> きみちゃんは赤ちゃんのとき、いろいろな事情で母親「岩崎かよ」に連れられて北海道に渡ります。
>
> 母親に再婚の話がもちあがり、かよは夫の鈴木志郎と開拓農場 (現北海道、留寿都村)に入植することになります。
>
> 当時の開拓地の想像を絶する厳しさから、かよはやむなく三歳のきみちゃんをアメリカ人宣教師チャールス・ヒュエット夫妻の養女に出します。
>
> 母親は、娘が宣教師夫妻に伴われ渡米して,今頃は幸せになっているよと、(きみちゃんの)妹に話して聞かせました。
> しかし、きみちゃんは結核になって米国には行かず、一人でさみしく麻布十番で死んだのです。
> 墓は青山墓地にあります。
>
> http://jin3.jp/kimi/kimi-1.html
きみちゃんが一人寂しく幸薄い9歳の生涯を閉じたのは、明治44年(1911)9月15日でした。
> あの「赤毛のアン」の翻訳者の村岡花子は、この近くの東洋英和女学校で学んでいたので
> 当時この施設に出入りしていたようです。
村岡花子は、明治26(1893)年6月21日 甲府市に生まれ
2歳のとき、甲府教会の小林光泰牧師より洗礼を受ける。
5歳のとき両親とともに上京。 カナダ・メソジスト派系の麻布教会(鳥居坂教会)に通う。
10歳のとき麻布鳥居坂の東洋英和女学校に給費生として編入。
給費生はカナダ・メソジスト派が運営する孤児院(永坂孤女院)での奉仕活動も課せられた。
大正2(1913)年 20歳で東洋英和女学校を卒業する。
村岡恵理:花子とアンへの道
> だから
> きみちゃんとも面識があったようです。時代と場所はあっています。