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[No.2465] 出てこい、ニミッツ、マッカーサー 投稿者:男爵  投稿日:2015/08/11(Tue) 12:46
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出てこい、ニミッツ、マッカーサー 出てくりゃ地獄へ 逆落とし

「比島決戦の歌」(一九四四年三月、作詞・西條八十、作曲・古関裕而) です。
https://www.youtube.com/watch?v=oERBTPp0yj8

私は、この歌は知りません。

この歌を作ったという西條八十は本に書いていますが
本当はもっとおとなしい歌詞だったのに
検閲をする将校が、これではダメだ(こんな歌詞なら通さない)
もっと直せと、将校のいうままに書いたのがこの歌詞なのだそうです。

戦後になって当人のマッカーサーがパイプを加えて
日本に乗り込んできたから、さあ大変
回りから、ひどいめにあうぞと脅かされ
西條八十はびくびくしていたそうです。


最近
芥川賞作家柏原兵三(かしわばら ひょうぞう)の小説「長い道」を読んだのです。

柏原は父の実家の近くの富山県下新川郡入善町の上原小学校に転入しました。
小学5年生の9月から終戦までの1年間でした。

そのとき
毎朝、小学校の校庭でみんなで「出てこい、ニミッツ、マッカーサー」の歌を歌ったそうです。

そして、木刀で、竹を束にした一種のサンドバックみたいなものをめがけて叩く練習をしたということです。


[No.2466] Re: 出てこい、ニミッツ、マッカーサー 投稿者:さんらく亭  投稿日:2015/08/11(Tue) 20:22
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> 柏原は父の実家の近くの富山県下新川郡入善町の上原小学校に転入しました。
> 小学5年生の9月から終戦までの1年間でした。
> そのとき
> 毎朝、小学校の校庭でみんなで「出てこい、ニミッツ、マッカーサー」の歌を歌ったそうです。
>
> そして、木刀で、竹を束にした一種のサンドバックみたいなものをめがけて叩く練習をしたということです。

わたしは柏原兵三よりちょうど1才上です。私も同じような体験をしました。
ニミッツやマッカーサーなど米軍の将軍の名前が出て来たのは戦況の雲行きが怪しくなった昭和18年ごろからで、開戦当初の17年ごろはルーズベルトやチャーチルという米英のトップ政治家の藁人形を作って木刀で殴りつけるのをやらされました。


        さんらく亭@甲子園


[No.2474] Re: 出てこい、ニミッツ、マッカーサー 投稿者:男爵  投稿日:2015/08/12(Wed) 04:59
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さんらく亭さん

> わたしは柏原兵三よりちょうど1才上です。私も同じような体験をしました。
> ニミッツやマッカーサーなど米軍の将軍の名前が出て来たのは戦況の雲行きが怪しくなった昭和18年ごろからで、開戦当初の17年ごろはルーズベルトやチャーチルという米英のトップ政治家の藁人形を作って木刀で殴りつけるのをやらされました。

やっぱり。

柏原少年が東京から持ってきた少年倶楽部は
富山の田舎でも人気があったそうです。
 高垣眸、「豹の眼」
 佐藤紅緑、「あゝ玉杯に花うけて」
 山中峯太郎、「敵中横断三百里」
 南洋一郎、「吼える密林」


[No.2477] Re: 出てこい、ニミッツ、マッカーサー 投稿者:さんらく亭  投稿日:2015/08/12(Wed) 10:43
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男爵さん

> やっぱり。
>
> 柏原少年が東京から持ってきた少年倶楽部は
> 富山の田舎でも人気があったそうです。
>  高垣眸、「豹の眼」
>  佐藤紅緑、「あゝ玉杯に花うけて」
>  山中峯太郎、「敵中横断三百里」
>  南洋一郎、「吼える密林」

これらの名前を見ただけでゾクッとします(^^)

高垣眸といえば「怪傑黒頭巾」もありました。
山中峯太郎といえば樺島勝一の見事な挿絵に胸をときめかしました。
我が家は貧乏で少年倶楽部を購読できなかいので友達の読み古しを借りて貪るように読んだものでした。
他には講談社の少年講談で「真田十勇士」「後藤又兵衛」「猿飛佐助」など。。。

       さんらく亭@甲子園


[No.2480] 少年倶楽部/漫画少年/手塚治虫/タモリ 投稿者:男爵  投稿日:2015/08/12(Wed) 13:48
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さんらく亭さん

少年倶楽部→加藤謙一→漫画少年→手塚治虫→トキワ荘→赤塚不二夫→タモリ

> >  高垣眸、「豹の眼」
> >  佐藤紅緑、「あゝ玉杯に花うけて」
> >  山中峯太郎、「敵中横断三百里」
> >  南洋一郎、「吼える密林」

> これらの名前を見ただけでゾクッとします(^^)

> 高垣眸といえば「怪傑黒頭巾」もありました。
> 山中峯太郎といえば樺島勝一の見事な挿絵に胸をときめかしました。
> 我が家は貧乏で少年倶楽部を購読できなかいので友達の読み古しを借りて貪るように読んだものでした。

柏原少年の少年倶楽部は、富山の子どもたちにとっても宝物で
そのときだけいじめられなかったそうです。

少年倶楽部の編集長だった加藤謙一は
同郷の佐藤紅緑を説得して「ああ玉杯に花受けて」の連載にこぎ着けたり
田河水泡の「のらくろ」や島田啓三の「冒険ダン吉」といった人気漫画を掲載したのですが
 その人気が仇となって
戦後に公職追放されて講談社を退職し
家族を養うため
妻を社長にたて出版社「学童社」を設立し、『漫画少年』を創刊するわけです。

この漫画少年で、手塚治虫のジャングル大帝が人気となり
手塚治虫のいたトキワ荘に、藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫たち(漫画少年投稿常連者)が集まり
日本の漫画家たちの漫画の歴史が始まるわけです。

赤塚不二夫が新宿の飲み屋でスカウトしたのがタモリで、そういうことからすれば
少年倶楽部の編集長だった加藤謙一からタモリまで、人の繋がりを感じるのでした。


[No.2500] Re: 出てこい、ニミッツ、マッカーサー 投稿者:  投稿日:2015/08/20(Thu) 21:05
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さんらく亭さん、ご無沙汰しております。みなさん、こんばんは。割り込みで失礼します。

この比島決戦の歌、実は今年3月7日にBS朝日で放映された「日輪の遺産」の中で、「いざこいニミッツ、マッカーサー」

と歌われていてオヤと思いました。この作品は2011年8月封切り原作浅田次郎、佐々部清監督、主演堺雅人で当時は全

然知りませんでした。たまたま放映日のテレビ欄か何かで興味を覚え録ってあったモノです。そして別件で古関裕而

作曲集を図書館で借りた折、この歌が載っていて確かめました。ではまた。 昴


[No.2476] Re: 出てこい、ニミッツ、マッカーサー 投稿者:夏子  投稿日:2015/08/12(Wed) 10:20
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男爵さん、さんらく亭さん、こんにちは(^o^)/

> 出てこい、ニミッツ、マッカーサー 出てくりゃ地獄へ 逆落とし
>
> 「比島決戦の歌」(一九四四年三月、作詞・西條八十、作曲・古関裕而) です。
> https://www.youtube.com/watch?v=oERBTPp0yj8
>
> 私は、この歌は知りません。

私も知りません(^^ゞ
最近、徹子さんのエッセイ集を読んだのですが、その中に、これに関係のある
エッセイが載っていました。

それは、占領後、マッカーサーが昼食のために、毎日、わずか6秒だけ日比谷の
GHQから姿を現すのですが、それを見たいと、日本人が黒山の人だかりになる、
というフィルムをご覧になって驚かれたとの話でした。

何かをもらいたくて集まるのではなく、ただ実物を一目でも見たい、という好奇心
を持つ日本人が多かったのでしょう。徹子さんは、この日本人の好奇心の強さと
そこから生まれるものを考えたい、というのが趣旨なのですが、私は、この
「比島決戦の歌」のお話を読んで、この歌を多くの人が知っているというのは
それだけマッカーサーは有名人だったということだろうと思いました。

徹子さんは、例えば、ヨン様のようなハンサムな有名人を見たい、という気持ちでは
ない好奇心だろう、と書かれていますが、私はやっぱり有名人だから見たかったの
だろうと思いますねヽ(^o^)丿

ハンサムかどうかは知りませんが、体格が良くて、白人で、いつもコーンパイプと
言いましたかあのパイプをくわえていて、何より、日本を最強の権力で動かしている、
これは、たしかにナマで見られるものなら見てみたいですよね(^o^)/
夏子