さんらく亭さん
少年倶楽部→加藤謙一→漫画少年→手塚治虫→トキワ荘→赤塚不二夫→タモリ
> > 高垣眸、「豹の眼」 > > 佐藤紅緑、「あゝ玉杯に花うけて」 > > 山中峯太郎、「敵中横断三百里」 > > 南洋一郎、「吼える密林」 > これらの名前を見ただけでゾクッとします(^^) > 高垣眸といえば「怪傑黒頭巾」もありました。 > 山中峯太郎といえば樺島勝一の見事な挿絵に胸をときめかしました。 > 我が家は貧乏で少年倶楽部を購読できなかいので友達の読み古しを借りて貪るように読んだものでした。
柏原少年の少年倶楽部は、富山の子どもたちにとっても宝物で そのときだけいじめられなかったそうです。
少年倶楽部の編集長だった加藤謙一は 同郷の佐藤紅緑を説得して「ああ玉杯に花受けて」の連載にこぎ着けたり 田河水泡の「のらくろ」や島田啓三の「冒険ダン吉」といった人気漫画を掲載したのですが その人気が仇となって 戦後に公職追放されて講談社を退職し 家族を養うため 妻を社長にたて出版社「学童社」を設立し、『漫画少年』を創刊するわけです。
この漫画少年で、手塚治虫のジャングル大帝が人気となり 手塚治虫のいたトキワ荘に、藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫たち(漫画少年投稿常連者)が集まり 日本の漫画家たちの漫画の歴史が始まるわけです。
赤塚不二夫が新宿の飲み屋でスカウトしたのがタモリで、そういうことからすれば 少年倶楽部の編集長だった加藤謙一からタモリまで、人の繋がりを感じるのでした。
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