ザックスさん、みなさん、
> 私どもが中学の頃、戦争末期の頃、この二つと機関学校はあこがれの的でした。当時の軍部の宣伝もあって、すでに負け戦であるにも関わらず、若い中学生は宣伝に載せられて進むべき道を見失っていました。 > > 私の数年先輩はこれらの学校に入り、もう少し先輩の連中は戦況も知らずに、国のために散って行ったのです。私ももう少し早く生まれていれば、この世にはいなかったかもしれません。
中学校へ入ったとき、上級生が次々とその方面に進学して、その都度 全校生徒で盛大な歓送会が行われました。
進んだ中学校は別でしたが、私の小学校の同級生が一人、昭和20年 に「幼年学校」に入ったのは聞いていました。
6年後の大学の入学試験会場で偶然出会いビックリしました。 半年で敗戦になり生きて帰っていたのです。
その同じ日、私達の小学校卒業時の担任だった先生が共産党のトラック に乗って選挙演説をしていました。 私達には選挙権がまだありませんでしたが、その先生は府会議員になり ました。
> そういう尊い人柱のお蔭で今の平和があるんですね。私は視力が悪かったのでそういう方へはいけませんでしたが。
尊いと云うか空しいと言うかは別にして、そのような歴史の上に今私達 は生きています。
***** Pan *****
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