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[No.2618] 隣組 投稿者:Pan  投稿日:2015/11/05(Thu) 14:58
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 大東亜戦争が始まってからだと思いますが、「隣組」と云うのが
全国的に始まりました。

 1年目はお隣の先生が組長さんでしたが、2年目は我が家に当
たったので、色々手伝いました。

 銅製品の供出もその時期だったかも知れません。

 昨日NHKテレビで「町内会」の話題が出ていたので思い出しま
した。
     

    ***** Pan *****


[No.2620] Re: 隣組 投稿者:まや  投稿日:2015/11/05(Thu) 17:36
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Panさん & みなさん、今日は!

>  大東亜戦争が始まってからだと思いますが、「隣組」と云うのが
> 全国的に始まりました。

 はい、覚えています。

>  銅製品の供出もその時期だったかも知れません。

 我が家でも鋳物などの日用品までいろんなものを供出しました。
 冬用のストーブは・・・思い切った覚悟の供出でしたが、終戦の日もまだ
役場の置き場あたりに残っていたように思います。

 ところで隣組ですが、今度の「福岡オフ」を好機とばかり、レンタルカー
で昔の住処を見てきました。

 隣組長さんのお宅やそのお隣(表札が相変わらずの同じ名前でした)もあ
りました(80年前のまま)残っていました。我が家だった家(譲った方の表
札が出ていました)もそのお向かいの家(表札は私より幼かった息子の名)も
残っていました。

 あと、何軒か空き地になっているところもありましたが、面影をとどめてい
たなかで、お大師さんの建物などが健在で、お遍路さんを思い出しました。

まや


[No.2622] Re: 隣組 投稿者:めぐみ  投稿日:2015/11/05(Thu) 18:21
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Panさん & まやさん、みなさん、今日は!
>
> >  大東亜戦争が始まってからだと思いますが、「隣組」と云うのが
> > 全国的に始まりました。
>
>  はい、覚えています。
>
> >  銅製品の供出もその時期だったかも知れません。

子供の頃の思い出ですが、お墓の囲いの鉄棒迄供出させられたとかで歯抜けの囲いがありましたっけ(-_-)zzz。鉄砲の玉だって大人の人は言ってました。
>
>  我が家でも鋳物などの日用品までいろんなものを供出しました。


[No.2630] Re: 隣組 投稿者:Pan  投稿日:2015/11/11(Wed) 13:01
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まやさん、めぐみさん、みなさん こんにちは。

>  ところで隣組ですが、今度の「福岡オフ」を好機とばかり、レンタルカー
> で昔の住処を見てきました。
>
>  隣組長さんのお宅やそのお隣(表札が相変わらずの同じ名前でした)もあ
> りました(80年前のまま)残っていました。我が家だった家(譲った方の表
> 札が出ていました)もそのお向かいの家(表札は私より幼かった息子の名)も
> 残っていました。

 私も自動車に乗り始めた頃、小学校卒業迄住んでいた家の前の道を通ってみ
ました。(^-^)
 20年程経っていました。

 一番感じたことは、道幅の狭いことでした。

 お隣は同じ表札が掛かっていましたが声は掛けませんでした。

 今だったらgoogleのストリート・ビュウで簡単に行けますね。(^o^)


 当時供出したのは、廃品回収ではなく、全部高価な銅合金製が
対象でした。 砲弾の薬莢として使うためです。

 集めた物は、その場で全部大きなハンマーでベコベコに叩き潰
されていました。

 その理由は、誰かが抜き取って私物化しないようにするためと
聞きました。
 「国賊」がいるのですね。

 何時の時代にも悪い奴がいると知りました。(~_~)

 小学校では毎週廃品回収日と云うのがあって、缶詰の空き缶や、
錆びた釘なども持って行きました。

 誰だったか、磁石で砂鉄を集めて持て行きましたが、役に立った
のかな?

 私の特に覚えているのは、近くを通っていた国鉄の踏切の信号機
で、黄/黒に塗り分けたX字型の標識があり、その一つの腕が折れ
曲がって落ちそうになっていたのを千切って持って行きました。
 意外と重かったです。

 これは犯罪でしょうね??
 その意識はありませんでしたが、見付かっていたら只では済まな
かったかも。 (*_*)


  ***** Pan *****


[No.2631] Re: 隣組 投稿者:まや  投稿日:2015/11/11(Wed) 13:25
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Panさん、こんにちは!

> >  ところで隣組ですが、今度の「福岡オフ」を好機とばかり、レンタルカー
> > で昔の住処を見てきました。
> >
> >  隣組長さんのお宅やそのお隣(表札が相変わらずの同じ名前でした)もあ
> > りました(80年前のまま)残っていました。我が家だった家(譲った方の表
> > 札が出ていました)もそのお向かいの家(表札は私より幼かった息子の名)も
> > 残っていました。
>
>  私も自動車に乗り始めた頃、小学校卒業迄住んでいた家の前の道を通ってみ
> ました。(^-^)
>  20年程経っていました。
>
>  一番感じたことは、道幅の狭いことでした。
>
>  お隣は同じ表札が掛かっていましたが声は掛けませんでした。
>
>  今だったらgoogleのストリート・ビュウで簡単に行けますね。(^o^)

ほんとに今浦島でした。(googleで見ていたのですが、実際に見ると、また格別
の思いがありました。)いずれにしても60年ですから\(~o~)/

 いろいろと世話になった母の実家(従弟夫婦がいる家は母の死後に訪れています
ので、数年ぶりでしたから、さほどの変化はありませんでしたが)も訪れましたが、
もう母の実家という感じはありませんでした。

 いずれにしても、どこを走っても田舎はほんとうに「いなか」になってしまい、
人がいないし車も走っていないと感じました。そして、日本の現状はこれではいけ
ない、と思わせられました。私にはどうしようもないのですけれど・・・

まや