Panさん
> 子供の頃「日光写真」と言うので遊んだことを思い出しました。 > 専用の印画紙にネガ・フイルムを重ねて、暫く直射日光に当てておくのです。
日光写真のネガ・フイルム、といっても、ぺらぺらのセロファンみたいな 薄い紙でしたが それを少し持っていて、父が近所の子供たちに与えていました。 父は駄菓子屋ではなく、学校の教師でした。
父の遺品の中から、それを見つけたことがあります。 四国の大学の先生にあげたら「懐かしい」と言われました。
KOZARUさん >社会人になって(昭和30年代前半)職場では「青焼きの図面」が残っていました。同じ原理のように記憶しています。
思い出して 当時の図面や計算書や大学時代のプリントなど 調べてみました。
私の場合 昭和40年代から0年代まで 研究論文や報告書や講義の資料などのコピーとして この青焼きはポピュラーでした。
講義資料の青焼きコピーの原紙をつくるのが大変だったと思います。 特殊な機械が必要?
学会の論文を投稿するときも、査読者三人のために それぞれコピーしなくてはならず、その上自分の保管用にもコピーしたので 学会の論文の原稿用紙は薄い紙でした。 この薄い原稿用紙に書いて、青焼きの機械でコピーしたのです。
いまのようなコピー機が普通になったのは その後だと思います。
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