まやさん、こんにちは。
> 昭和20年代は終戦から大変なインフレの時代でした。 > 新円切り替えがあったことは言葉だけでもご存じでしょう。
そうなんでしょうね。新円切り替えも、言葉としては聞いたことがありますが、 実態については知らず・・・です(^^ゞ
まやさんを煩わせては申し訳ないので、ここで、検索してみて、そこそこは 分かりました(^^ゞ 新札の10円札と100円札は、よく覚えている、と言うより それしか知りません。この札はまだ持っていると思いますが、記念だと思って、札の 裏に当時の住所氏名を書いてしまったので、使えません。
ネットによると、新10円札の中央下の「Y10」の影はGIになっていて、GIが 睨みをきかせているといると言われたものだった、と書いてありましたが、拡大して みても、さっぱり分かりませんでした。我が家の行方不明の10円札が出てきたら、 確認してみます(^o^)/ > 田舎暮らしは私もご同様、なにしろ九州の片田舎で育ったのですから。 > ただ、戦後10年の凄まじいばかりの変化は、この時代を「生活者」と > して生きていた者でないと判らないかもしれませんね。特に経済が大きく > 変化する都会と言われる環境から少しでも遠いところでは、ほとんど変化 > は感じられなかったことと思います。
変化を感じられなかったのは、私が幼かったからばかりではないかもしれませんね。
> さて、バナナ一房で15,6本はついているでしょうか、それが500円 > だったのを記憶しています。下宿屋が畳一枚で千円見当で値段が決ると言われ > た時代です。つまり3畳なら3千円、6畳間なら6千円といわれていたころで > す。想像できます?
下宿屋さんというのは、賄い付きの値段でしょうか?それとも部屋代のみ?
というのが、昭和41年頃、2Kの、Kというのとはイメージ違って、長屋で 6畳+4畳半の2つのタタミ部屋+2畳くらいの玄関と2畳くらいの土間の 台所で、半間のお便所、1間の廊下、半間の物入れが付き、別に、4軒が共同で 使うお風呂が付いていました。
書いていて思い出しましたが、4畳半のほうは、1,5間の押入れ付きでした。
まやさんが住まれた頃の6畳の下宿より安い!都会は、やっぱり高いですねぇ。
> それで、友人をもてなすのに1房500円のバナナです。
奮発されたことになるのかな? 下宿代の1割くらいでしょうか? お友達は感激されたのでは?(^o^)/ > バナナだけでなく、昔は入手困難だったものが輸送手段や保存手段などが各段 > に進歩してきたおかげで格安に入手できるようになり、身近なものになったのを > 実感してる昨今です。最近ではときどき黒ずんで安くなっているバナナを一本買 > いしたりすることがあります(^_-)
おっしゃるとおり、輸送手段や保存手段は格段に進歩しているようですね。 恩恵を日々こうむっています(^o^)v 夏子
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