Pan さん、マーチャン、まやさん、善兵衛さん、みなさん こんにちは。
昭和24年(1949年)3つの鶏舎に約150羽の養鶏をやっていました。 信じて貰えないでしょうが、、、戦後すぐ父が急逝 お嬢様育ちの母は自活 能力に乏しくって、、、
卵を産ませ、干し乾燥させた鶏糞も かますに詰めて売りました トラップネストと称した 鶏が卵を産みに入ると扉がパタンと閉まり、開けて 鶏の一匹、一匹の足首に付けた番号を読み取って、各鶏舎に張り付けてある 番号に〇印を入れます。 半月ほど〇が付かなくなったのは廃鶏として売り、お金にしました。
病院や高級住宅地へ行って直販、良い値段で売れました。 住いと鶏舎は大陸からの引揚者用の小屋の様な戸建てを買って、、、
餌は飼料統制会社から、、、17歳で大人に伍して虚勢 煙草を吸ってました。
生活の為それまでは 海水浴場の風呂場の釜滝、ポスター張り、道路測量加勢、 線路工夫など、、、 住まっていた福岡の国立大学に推薦入学、入学金のみ1800円分割納付。 あと卒業まで授業料他全額免除。
その後は収入が良く大事にされる家庭教師を。 兄弟2人の家庭を4家族、月・火・水・木・金・土・日曜は午前と午後 都合8回 各家庭から大事にされ、グーンと収入もアップしました。 大学の授業は出る科目は全受講、講義録をガリ版で刷って、、、
奨学金 始め1800円、2年目以降3000円貰って(就職後分割返済)。
3年からは兄弟2人×4家庭
可成りの苦学で苦労しました。
今は懐かしく しんどかった良き?思い出です。
オアシス
> > メロウ伝承館で「鶏を飼う」を見て思い出しました。 > > 若い友人は「わあ、残酷」といいますが、昔は、みんな自宅でやっていましたよね。 > > > 21日間母鳥が暖めていた雛がかえる日、学校から帰って、ずっと鳥小屋の前にいました。 > > > > 母鳥が、卵を「ちっ」とつつきますと「ピーピー」と鳴きながら雛が出てきたのには > > > > 感動しました。良い体験をさせてもらったと感謝しています。 > > ヒヨコを貰ってくることもありましたが、自分で孵すのが普通でしたね。 > 正確に21日なのにはいつも驚きました。 > > 母の里では昔数百羽を飼っていて、孵卵器と云う大きな棚もありましたが、 > 何で暖房したのかな? 昔の温度管理作業は大変だったと思います。 > > 私の知った頃にはもう止めていましたから、大きな鶏舎だけが物置になっ > ていました。
> > 最近のスーパーの卵は褐色のが多いですが、鶏を飼っている鶏舎を見ると > 全てが白色ですね。 > > 消費者は褐色の卵の方が栄養価が高いと錯覚を受けるようです。 > 私は同じだと思っています。 > > > ***** Pan *****
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