マーチャン、善兵衛さん こんにには。 > > 軍志願者が多ければ配属将校の点数になる。 > > だったらあんなゲス将校の点数になるんじゃなかった! > > 配属将校の品質が1代毎に劣化した。 > > どうせ志願するなら、もっと増しな配属将校のとき点数になってやればよかった! > > そういう話はよく聞きます。 > > 戦争がはじまった頃には、立派な上官がたくさんおられたのに、そういう方々の多くはは戦死してしまわれた。 > その後に次々と来られた上官にはだんだん質的に劣る方が増えてきた。 > 日本軍が、海外で評判を落とした理由のひとつに、それもあった。
中学校に入ったら配属将校がいましたね。 校長よりも権力を持っていました。 一般の教員室での同居ではなく、専用の部屋を貰っていました。
最初の一人は中尉で、サーベルを下げていました。
歩調をとって歩く時、北朝鮮の行進のように足を勢いよく上げるのでは 無く、最初すり足気味に上げてから膝を高く上げて歩くのが特徴でした。 少し遅れて来たのは伍長でした。 この人は気さくな兵隊でした。
中学二年生の時から町中が大阪陸軍造幣所の疎開工場になって中学生も 建設工事に動員されましたが、指揮は全て軍人の階級を持った人でした。 色んな人がいましたが、みんなから慕われている人も多かったです。
敗戦が決まった日、運動場で夜になるまで色々な書類を焼きましたが一 番慕われていた小柄な土田上等兵が泣きながら火の中へ文書を投げ込んで いた姿は忘れられません。
***** Pan *****
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