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[No.3037] 台風の名前 投稿者: マーチャン  投稿日:2016/09/04(Sun) 12:57
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 戦争直後は日本でも外人さんの女性の名前がついていました。

 戦争中、米軍の気象担当者がはじめたようですが、それを日本にも持ち込んだのですね。

 「キティ台風」なんていうのもありましたね。

 日本が独立してからは「番号制」に戻ったようですが

 米軍の担当者が「奥さんが荒れ狂う姿」を思い出して名付けた、という話も聞きました。

 であれば日本では、「静子さん」「安子さん」なんていう日本名前にしても良かったのではないでしょうか。


[No.3040] Re: 台風の名前 投稿者:Pan  投稿日:2016/09/04(Sun) 21:49
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マーチャン、みなさん こんばんは。

>  戦争直後は日本でも外人さんの女性の名前がついていました。
>
>  戦争中、米軍の気象担当者がはじめたようですが、それを日本にも持ち込んだのですね。
>
>  「キティ台風」なんていうのもありましたね。

 覚えていますよ。キャサリン颱風なんてのも。

>  日本が独立してからは「番号制」に戻ったようですが
>
>  米軍の担当者が「奥さんが荒れ狂う姿」を思い出して名付けた、という話も聞きました。

 その方が現実感がありますね。(@_@)

>  であれば日本では、「静子さん」「安子さん」なんていう日本名前にしても良かったのではないでしょうか。

 「マーチャン」なんてのも出来ていたかも知れませんね。(^-^)

 番号は味気ないし、年毎に1番から始まるので個性が無いです。

 日本も女性に参政権ができたので強い圧力が掛かったのではないでしょうか?


    ***** Pan *****


[No.3045] Re: 台風の名前 投稿者:男爵  投稿日:2016/09/05(Mon) 05:31
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マーチャン、 Panさん、 みなさん おはようございます。

> >  戦争直後は日本でも外人さんの女性の名前がついていました。

> >  「キティ台風」なんていうのもありましたね。

>  覚えていますよ。キャサリン颱風なんてのも。

カスリン台風(キャサリン台風)、アイオン台風で記録的な被害を受けた。

> >  米軍の担当者が「奥さんが荒れ狂う姿」を思い出して名付けた、という話も聞きました。

たとえば ジャイコ台風、アッコ台風

聞くところでは、いまではアメリカも
男女交互に台風の名前をつけるとか。


[No.3046] Re: 台風の名前 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/09/05(Mon) 10:33
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 みなさん、こんにちは。

戦後はいろいろアメリカ婦人の名をベンキョーさせられましたね。カスリン、アイオン、キティ、デラ、へスター、ジュディ、ジェーン、キジア、ルース、ダイナ等々。

 戦後の台風で一番エライのはやはり、キティーじゃあないでしょうかね。なにしろ、里見とんや福田恒存の文学作品を生みだしたんですからね。

 キティーはアメリカ婦人の名だというので、第一号台風のキャサリンと同じことなんでしょうね。同じ日本に2,3年の間に2回もやって来たとおもったら、こんどはハロー・キティー☆になって、世界中に出て行きましたね。

今は台風にアジア名と云うのがあり、12号はウィパー。女の名でつぎの13号は男で、フランシスコだそうですね。

 ほかでは、風神や雷神なんていうのはわかるけれど、プリン、マンゴスティンなんてのは、なにか可笑しい。だいたい、そんなヤワな紋じゃないと思いますがね。

 イソギンチャクも場違いなら、なまずなんてのも、ひょっとしたら勘違いではないでしょうかね。日本だったら、なまずの担当エリアは、昔から地震と決まっています紋ね。(^_-)-☆

 ☆もちろん、子ネコちゃんの意味もありますが。


[No.3047] Re: 土地のいわれ 投稿者:寒梅  投稿日:2016/09/05(Mon) 15:53
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皆さんこんにちは

紋次郎さんのお話はウイットに富んでいて

>こんどはハロー・キティー☆になって、世界中に出て行きましたね。

拍手。

気の利いたお話ではないのですけれどキャサリン台風では罹災してしまいまして
荒川 熊谷土手の決壊。疎開しておりました父方の実家も床上40センチ水の押寄
せる速さを実感しました。大きな箕田耕地は巨大な湖と化し井戸もお手洗いも
一緒くた 赤痢が出まして消毒・・。

荒川の決壊場所を見に行きました。

小谷村糠田 このあたりのお家では天井に船がくくりつけてあったそうです
昔の地名はそれゆえの示唆があるのですね。

寒梅


[No.3048] Re: 土地のいわれ 投稿者:唐辛子紋次郎  投稿日:2016/09/05(Mon) 21:01
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 寒梅さん、こんばんは。

あっしにはよく分かりませんが、ご実家は長野県の小谷(オタリ)村でしょうか。だとすると、この辺りは地形上、大雨の際に大量の水が噴出するので、『ヤフーの知恵袋』ではタリという音が、地名に残っているのではないかと書いていますね。

 つまり、昔からよく水害に悩まされたのでこの、オタリという地名が付いたのでは、ないでしょうか。(最初のオは、かざりというか、あまり意味のない言葉と思います。)

 あっしも若い頃はよく、水害に遭ったので、床上、床下の怖さは、多少は知っている心算です。


[No.3049] Re: 土地のいわれ 投稿者:男爵  投稿日:2016/09/06(Tue) 06:58
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寒梅さん、唐辛子紋次郎さん、皆さん    こんにちは

> 気の利いたお話ではないのですけれどキャサリン台風では罹災してしまいまして
> 荒川 熊谷土手の決壊。疎開しておりました父方の実家も床上40センチ水の押寄
> せる速さを実感しました。大きな箕田耕地は巨大な湖と化し井戸もお手洗いも
> 一緒くた 赤痢が出まして消毒・・。
>
> 荒川の決壊場所を見に行きました。

 荒川の洪水  写真が載っています。
http://www.supercom.ecweb.jp/magazine/23/hakubutukann4.pdf
かつては隅田川が荒川の本流で,現在の荒川のほうは,治水のため人工的に作られた川(昔は荒川放水路と呼んでいました)なのです。

私は
荒川知水資料館ではなく、もっと浅草に近い隅田川のほとりの資料館で
荒川や隅田川の洪水の写真を見たことがあります。

洪水の悲劇の歴史を繰り返して、堤防やダムがつくられていったのです。(川を分流する工法も)

カスリン台風やアイオン台風の被害のあとに
北上川五大ダム計画がたてられ、つぎつぎにダムがつくられました。