みなさん、こんにちは。
正確な年は覚えていませんが、小学生の時です。
太平洋戦争が始まって、未だ勢いに乗っていた頃です。
祖父の妹の叔母は男の子2人が相次いで徴兵にあい、たっ た一人で残されました。
その次男の方が伝書鳩を飼うのが好きで、時々遊びに行っ てはハトの運動のために放つのを見るのを楽しみにしていま したので「ハトのおばちゃん」と呼んでいました。
その兄の方が、ビルマ戦線だったかと思うのですが戦死し ました。
私達親戚家族が当時の京都駅に迎えに行ったときは専用の 「英霊室」と言うのがあって、白木の箱はそこに祀られてい ました。
市電に乗って叔母の家の近くで下りたとき、目を奪われま いた。
市電の停車場から叔母の家まで、近くの小学校の全校生徒 達が並んで迎えに来てくれていたのです。
その列の間を私達は静々と歩きました。
そんなことは一回限りでした。
その弟も1年程後には戦死しましたが、白木の箱を受け取 りに来るようにと通達があり、私の父が叔母の代理で受け取 りに行きました。
父が週に一回ほどご機嫌伺いに立ち寄っていましたが、あ る時行ったら、炬燵にもたれて亊切れていました。
その時にはハトが全部小屋の中で飢え死にしていました。
戦後すぐ、父がその叔父の遺骨の箱を開けました。
私も横から覗いていましたが、陶器製の骨壺の中には、そ の叔父の名前を書いた薄い板が1枚入っていました。
***** Pan *****
|