ザックスさん、七君さん、まやさん、みなさん こんばんは。
>> 堀辰雄の代表作『風立ちぬ』等の文学作品は、結核が無かった >> ら代に出なかったですね。(^^) > >本当に。ロマンティックな病気でもありましたね。
「不如帰」の浪子さんと言い、文学上では死病の割にはロマンチックでしたね。(^-^)
幕末の闘士やその後の文士も結核死亡者もヤケに多い気がします。 今のガンに劣らない死病だったと思うのですが。 >> 私も中学生2年生だった戦後すぐに微熱の続いた時、肺浸潤と >> 診断されて、休学しました。 > >よく結核と言う言葉を嫌って初感染とも言いましたね。
そんな呼び方もあましたか? 当時もレントゲン写真はありましたね。
>> そのお陰で、この歳になっても生きています。 > >私もその口です。でも休学のお蔭で友達が増え、彫刻家や絵描きや音楽好きの >友達が増え、自分の中身が豊かになりました。
休学直ぐから退屈で、最初の半月ほどは寝て過ごしましたが、週一回国鉄に乗 って隣町の病院へ通う時も無蓋貨車に乗って、走っている間に隣の貨車に乗り移 ったり、機関車の前の連結器に乗ったり。
そう言えば、当時の国鉄は大変で、客車にはデッキの取っ手に片手で掴まるだ けでも大変でした。 田舎では短距離客には貨物列車に積極的に乗せていました。
母方の里が養鶏、養蚕、山羊から通常の農家まで実地に体験したので、一通り の事は覚えました。
それが後の健康に役だったようです。 その一年に身長も10センチ近く伸び たような感じです。
結果的に逆療法だったのでしょうか?
今思えば、病気になっていなければ、そのまま順調?に虚弱児のままで過ごし ていたような気がします。(^-^)
***** Pan *****
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