昭和40年頃までは、五右衛門風呂に入っていた。 時には、風呂焚きもした。 風呂焚きは、好きな時間でもあった。火を見てると、何か癒されると言うか、 そんな気になりませんか?
結婚してからも、最初は五右衛門風呂だった。4軒長屋に住んでいて、薪作りや 風呂焚き当番もあった。薪は、誰のツテだったか知らないが、製材所の端材を 安く買っていたのだと思う。
お風呂場から一番離れた端の家で、冬に生まれた娘を、バスタオルにくるんで 家まで走ったいた。出産の手伝いに来てくれた姑が、○チャンは、あんな雪の 降るような寒い中を、湯上りで運ばれていたから、元気に育ったんだねぇ、と 感心してくれたことを思い出す。
しかし、生まれたては、部屋にビニールを敷いて、木製のタライに湯を張って 夫が入れて、姑が傍から手伝って、それを、私が布団の中から見ていた記憶が あるので、事実の時間関係が混乱してしまう(^^ゞ
昔は、産後は2週間くらい寝てませんでした?(^^ゞ
長屋に2年いた後、4層アパートに当たって、ガスぶろになった。 同時に、初めて洋式トイレのお世話になったが、どうしていいか最初は 悩んだものだ(^^ゞ
4階住まいで、赤子をおんぶしての買い物が苦労だったが、風呂とトイレは 快適だったアパートは、夫が新しい職場を得て、わずか3カ月でお別れ。
新築の借家は、工事が遅れて、まだ水道も来ていなかったっけ。 ここで、また薪で沸かす五右衛門風呂に。トイレもボットントイレに逆戻り。 火を見るのは好きだが、時間がかかるのは大変だったな。最低でも、水を 入れてからいい湯加減になるまでに、1時間はかかったと思う。
また4層の県営アパートに当たって、2年で転居。 今度は3階で、1階少ないだけでも上り下りはずいぶん楽だった。赤子を 負ぶわなくてもよくなっていたし(^^ゞ
また職場が変わって、転居。木造一戸建てで、お風呂はガス風呂だった。
マイホームを新築して転居。お風呂は深夜電力を利用しての給湯式になった。 格段に労力は楽になった。何せ、水を張る時間=お湯が溜まる時間なので、 楽ちん楽ちん、というようなものだった(^o^)/
しかし、新興の住宅団地で、まだ家が少なく、下から吹き上げる北風が冷たく、 温水器は凍結して、何度壊れたか分からない。修理費は結構かかった。
何度目かに壊れた後、燃料費が安いと言うことで、灯油ボイラーに替えた。 これも何年か経って、そろそろ交換時期となった頃、年齢的に灯油缶を 運ぶのにきっと苦労すると思えてまた電気温水器に替えた。
初めに設置した温水器は、深夜電力で決まった量までしかお湯が使えず、 年末になると、お湯を使う量が急増するので、肝心な時にお湯が出なくなって 不便だったが、今回のは、定量の湯ではないので、好きなだけ使える。
ところが、家族数も減り、正月だからと言って、シャカリキにおせち料理も 作らなくなり、定量制でも間に合ったに違いない(^^ゞ
以上、私のお風呂体験である。ずっと内風呂だったので、銭湯体験という のは、一度しか記憶がない。友達に誘われて初めて行った時、おばさん達が 象のような足で、のしのしと歩いているのをびっくり仰天して眺めたもの だが、今や、私自身が、あのおばさん達のような裸体になっていると思う。
ま、私の場合は、今後も大勢の人のいる銭湯に行くことはないと思うので、 若い人を驚かすことはないだろう(^^ゞ 夏子
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