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[No.3344] 私のお風呂体験 投稿者:夏子  投稿日:2018/03/26(Mon) 00:33
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昭和40年頃までは、五右衛門風呂に入っていた。
時には、風呂焚きもした。
風呂焚きは、好きな時間でもあった。火を見てると、何か癒されると言うか、
そんな気になりませんか?

結婚してからも、最初は五右衛門風呂だった。4軒長屋に住んでいて、薪作りや
風呂焚き当番もあった。薪は、誰のツテだったか知らないが、製材所の端材を
安く買っていたのだと思う。

お風呂場から一番離れた端の家で、冬に生まれた娘を、バスタオルにくるんで
家まで走ったいた。出産の手伝いに来てくれた姑が、○チャンは、あんな雪の
降るような寒い中を、湯上りで運ばれていたから、元気に育ったんだねぇ、と
感心してくれたことを思い出す。

しかし、生まれたては、部屋にビニールを敷いて、木製のタライに湯を張って
夫が入れて、姑が傍から手伝って、それを、私が布団の中から見ていた記憶が
あるので、事実の時間関係が混乱してしまう(^^ゞ

昔は、産後は2週間くらい寝てませんでした?(^^ゞ

長屋に2年いた後、4層アパートに当たって、ガスぶろになった。
同時に、初めて洋式トイレのお世話になったが、どうしていいか最初は
悩んだものだ(^^ゞ 

4階住まいで、赤子をおんぶしての買い物が苦労だったが、風呂とトイレは
快適だったアパートは、夫が新しい職場を得て、わずか3カ月でお別れ。

新築の借家は、工事が遅れて、まだ水道も来ていなかったっけ。
ここで、また薪で沸かす五右衛門風呂に。トイレもボットントイレに逆戻り。
火を見るのは好きだが、時間がかかるのは大変だったな。最低でも、水を
入れてからいい湯加減になるまでに、1時間はかかったと思う。

また4層の県営アパートに当たって、2年で転居。
今度は3階で、1階少ないだけでも上り下りはずいぶん楽だった。赤子を
負ぶわなくてもよくなっていたし(^^ゞ

また職場が変わって、転居。木造一戸建てで、お風呂はガス風呂だった。

マイホームを新築して転居。お風呂は深夜電力を利用しての給湯式になった。
格段に労力は楽になった。何せ、水を張る時間=お湯が溜まる時間なので、
楽ちん楽ちん、というようなものだった(^o^)/

しかし、新興の住宅団地で、まだ家が少なく、下から吹き上げる北風が冷たく、
温水器は凍結して、何度壊れたか分からない。修理費は結構かかった。

何度目かに壊れた後、燃料費が安いと言うことで、灯油ボイラーに替えた。
これも何年か経って、そろそろ交換時期となった頃、年齢的に灯油缶を
運ぶのにきっと苦労すると思えてまた電気温水器に替えた。

初めに設置した温水器は、深夜電力で決まった量までしかお湯が使えず、
年末になると、お湯を使う量が急増するので、肝心な時にお湯が出なくなって
不便だったが、今回のは、定量の湯ではないので、好きなだけ使える。

ところが、家族数も減り、正月だからと言って、シャカリキにおせち料理も
作らなくなり、定量制でも間に合ったに違いない(^^ゞ

以上、私のお風呂体験である。ずっと内風呂だったので、銭湯体験という
のは、一度しか記憶がない。友達に誘われて初めて行った時、おばさん達が
象のような足で、のしのしと歩いているのをびっくり仰天して眺めたもの
だが、今や、私自身が、あのおばさん達のような裸体になっていると思う。

ま、私の場合は、今後も大勢の人のいる銭湯に行くことはないと思うので、
若い人を驚かすことはないだろう(^^ゞ
夏子


[No.3345] Re: 私のお風呂体験 投稿者:男爵  投稿日:2018/03/27(Tue) 05:19
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夏子さん、みなさん   おはようございます。

> 昭和40年頃までは、五右衛門風呂に入っていた。
> 時には、風呂焚きもした。

五右衛門風呂は底が熱いから、板を敷いていました。

> 結婚してからも、最初は五右衛門風呂だった。4軒長屋に住んでいて、薪作りや
> 風呂焚き当番もあった。薪は、誰のツテだったか知らないが、製材所の端材を
> 安く買っていたのだと思う。

燃料が薪というのが多かったみたいですね。おがくずもありました。

今では、石油やガスですね。


[No.3346] Re: 私のお風呂体験 投稿者:夏子  投稿日:2018/03/27(Tue) 10:13
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男爵さん、こんにちは。

> 五右衛門風呂は底が熱いから、板を敷いていました。

そうそう、そうでした。底板が斜めにならないように、板の上で、右足と左足で
上手く平らに敷けるように、それなりの技が必要でした。

今想像すると、笑えますねヽ(^o^)丿 裸で股を開いてバランスを取るわけで・・・
我が家の風呂は、長方形だったので、底板も長方形。もしかして、丸いほうが
簡単だったでしょうか?

> 燃料が薪というのが多かったみたいですね。おがくずもありました。

そうでした。真ん中に穴の開いた、ちくわを大きくした形状で。
これの名は「オガライト」でしたね。火力も強いということでしたが、うちでは
使ったことがありませんでした。価格が高かったのかも。

> 今では、石油やガスですね。

電気が一番多そうですが、電車などの車窓から、軒下に、長さを揃えた薪を、
美しく積んである景色は、何とも言えず郷愁を誘われます。今でも、山間地など
では、残っていますね。

昨日見たテレビでも、丸太を割って薪を作り、きれいに重ねる作業の様子を
みましたが、やっぱり高齢者ばかりで、重労働をたんたんとこなしておられました。
夏子


[No.3347] Re: 私のお風呂体験 投稿者:まや  投稿日:2018/03/29(Thu) 23:56
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夏子さん、男爵さん & 皆さん、今晩は!

 五右衛門風呂に釣られて出てまいりました。

 親が家を新築したのが昭和10年なので、私にはそれが五右衛門風呂初体験の
時期かと思いますが・・・翌年か翌々年か、冬の寒い朝、お風呂の湯で洗顔を
しようとして少しぬるくなったお湯の中に落ちたことがあります。今の私の脳
裏では物干し竿で毛糸編みのワンピースが揺れています(*^^)v

 我が家の五右衛門風呂は石炭が燃料でした。ですから、いったんお湯が熱く
なるとなかなか冷めず、朝まで温かだったので、上記のようなことが起こった
のでしょう。

 子供のころはその五右衛門風呂に祖母と一緒に入って蜜柑を食べたりした思
い出があります。遊びながら入って10まで数えて出るようにと言われたのも懐
かしい思い出です。ひぃーふぅーみぃーよぅ−いつ、むぅ〜〜〜

 上級学校に入ると、寮や下宿など住まいが変わるごとに風呂も変りましたが、
戦後ほどない時期ということもあって、毎日お風呂に入るというわけにはいき
ませんでした。それに、お湯もたっぷり使えないときもありました。銭湯の経
験をしたのもこのころです。

 その後、所沢に引っ越しした後はシャワーだけか、普通の家庭にあるような
風呂を経験した後、今のケアハウスに入居して泳げるくらい大きなお風呂を楽
しんでいます・・・誰もいない時間には寂しいくらい・・・このお風呂はケア
ハウス住まいとしては格別に嬉しいことです。

まや


[No.3348] Re: 私のお風呂体験 投稿者:夏子  投稿日:2018/03/30(Fri) 17:52
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まやさん、こんにちは。

>  親が家を新築したのが昭和10年なので、私にはそれが五右衛門風呂初体験の
> 時期かと思いますが・・・翌年か翌々年か、冬の寒い朝、お風呂の湯で洗顔を
> しようとして少しぬるくなったお湯の中に落ちたことがあります。今の私の脳
> 裏では物干し竿で毛糸編みのワンピースが揺れています(*^^)v

あらまぁ、幼いころにはありがちな事故のようですが、無事でよかったですね。

>  我が家の五右衛門風呂は石炭が燃料でした。ですから、いったんお湯が熱く
> なるとなかなか冷めず、朝まで温かだったので、上記のようなことが起こった
> のでしょう。

石炭の豊富な九州らしいですね。うちは石炭は、どんな燃料としても使った
ことがありません。石炭ストーブは、学校の教室にあったかなぁ。そんな程度です。

>  子供のころはその五右衛門風呂に祖母と一緒に入って蜜柑を食べたりした思
> い出があります。遊びながら入って10まで数えて出るようにと言われたのも懐
> かしい思い出です。ひぃーふぅーみぃーよぅ−いつ、むぅ〜〜〜

可愛いまやちゃんが想像されます(^o^)/ そういう記憶は全然ありません。
仰向けに抱きかかえられて、父に髪を洗われるのが苦しい思い出だったくらい(^^ゞ
下手だったんでしょうね、父も。

>  その後、所沢に引っ越しした後はシャワーだけか、普通の家庭にあるような
> 風呂を経験した後、今のケアハウスに入居して泳げるくらい大きなお風呂を楽
> しんでいます・・・誰もいない時間には寂しいくらい・・・このお風呂はケア
> ハウス住まいとしては格別に嬉しいことです。

終わり良ければすべて良し\(^o^)/
誰もいない時に足を滑らせたりして、おぼれたりしないでくださいね。
ケアハウスでは気を付けてくれるとは思いますが、濡れた床で滑って転倒という
事故もあると、今日テレビで見ました。

うちの娘は、寮のお風呂で、ベチャベチャの足ふきのせいもあったのか、水虫を
貰ってしまいましたよ(^^ゞ 管理の行き届かない寮でしたね。友達のお父さんが
皮膚科のお医者さんで、ふと見たら、カルテに○さん(娘さんの名前)の友人と
書かれていたそうです、ハハハ。おかげで再発してません。

それはそうと、五右衛門風呂と言う名は、五右衛門の釜茹での刑に因んでいるんです
よね。五右衛門が先か、それとも鉄の風呂釜はそれより前から存在していたのか
考えると眠れない・・・(^^ゞ
夏子


[No.3349] Re: 私のお風呂体験 投稿者:Pan  投稿日:2018/03/30(Fri) 21:42
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夏子さん、男爵さん、まやさん、みなさん こんにちは。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>
> それはそうと、五右衛門風呂と言う名は、五右衛門の釜茹での刑に因んでいるんです
> よね。五右衛門が先か、それとも鉄の風呂釜はそれより前から存在していたのか
> 考えると眠れない・・・(^^ゞ
> 夏子

 アハハ、鉄の風呂釜の方が先だったと思います。

 むしろ、その釜が入浴専用だったか他の目的にも使われていて、入浴にも使ったと
考える方が自然です。

 底から排水する構造も、あの釜を傾けて排水するには重過ぎることを考えると当然
でしょうね。

 しかし、あの排水口を底に付ける技術はなかなかのもので、五右衛門が釜茹でにさ
れた頃にもあったかどうかです。


   ***** Pan *****


[No.3352] Re: 私のお風呂体験 投稿者:夏子  投稿日:2018/04/01(Sun) 10:35
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Pan さん、みなさん、こんにちは。

> > それはそうと、五右衛門風呂と言う名は、五右衛門の釜茹での刑に因んでいるんです
> > よね。五右衛門が先か、それとも鉄の風呂釜はそれより前から存在していたのか
> > 考えると眠れない・・・(^^ゞ
> > 夏子
>
>  アハハ、鉄の風呂釜の方が先だったと思います。

石川五右衛門は、実在の人物だったようですが、釜茹での刑で死んだかどうかは
分からないようですね。ググってみたら、斬り殺されたとも書いてありました。

安土桃山時代、ってことは江戸時代より前ですよね。その頃には、大きな鉄の
お釜を作る技術も広まっていたということですかね?

想像より早く、日本は技術の進んだ国だったわけか・・・大したものです。

>  むしろ、その釜が入浴専用だったか他の目的にも使われていて、入浴にも使ったと
> 考える方が自然です。

なるほど。鍋とか炊飯釜とかね。

>  底から排水する構造も、あの釜を傾けて排水するには重過ぎることを考えると当然
> でしょうね。
>
>  しかし、あの排水口を底に付ける技術はなかなかのもので、五右衛門が釜茹でにさ
> れた頃にもあったかどうかです。

うーーむ、ここを読んで、はたと考え込んでしまいましたよ(^^ゞ
五右衛門風呂の底板までは記憶にあっても、排水口がどうなっていたのか
まったく記憶にない。

縁はタイルだったと思うので、釜を傾けて、水を捨てるなどは不可能な訳
ですから、排水口はあったでしょうが、どこにあったんだか?? 

底、もしくは、底近くの部分でしょうが、栓はどうなっていたのでしょう??
その材質は?? 今は、ゴム?製で、鎖で引っ張って栓を抜く仕掛けですが、
私が子供の頃、そんな鎖があったっけか?? 入浴や風呂焚きの経験は
あっても風呂掃除の記憶がないのです(^^ゞ 風呂掃除も時にはやらされたに
違いないのに・・・。

で、お得意の検索を掛けてみました。

https://www.google.co.jp/search?q=%E4%BA%94%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80%E9%A2%A8%E5%91%82&hl=ja&rlz=1T4PLXB_jaJP639JP640&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwiFo_in7pfaAhXCLpQKHePnD5MQ_AUICigB&biw=1249&bih=539#imgrc=kDz-js8QjpguOM:&spf=1522544013402

こんなにたくさんの画像があり、且つ、排水口の構造まであっても、どうなって
いるんだか、と悩んでしまう(^^ゞ

記憶と言うのは当てにならないものですね。
夏子


[No.3356] Re: 私のお風呂体験 投稿者:七君  投稿日:2018/04/02(Mon) 09:24
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夏子さん、みなさん こんにちは

> > > それはそうと、五右衛門風呂と言う名は、五右衛門の釜茹での刑に因んでいるんです
> > > よね。五右衛門が先か、それとも鉄の風呂釜はそれより前から存在していたのか
> > > 考えると眠れない・・・(^^ゞ
> > > 夏子
> >
> >  アハハ、鉄の風呂釜の方が先だったと思います。
>
> 石川五右衛門は、実在の人物だったようですが、釜茹での刑で死んだかどうかは
> 分からないようですね。ググってみたら、斬り殺されたとも書いてありました。

私も、物ごころついて以来、相当あとまで入っていた風呂が五右衛門風呂でした。
戦中までは石炭を焚いてましたね。戦中に、石炭が無くなり、近所の製材所で
木っ端を譲って貰ったりしていましたが、そのうちそれもなくなりました。
町内会?で、山へ貰いに行くこともありましたね。あれは配給だったのかな?
また、中学校で、疎開のために家を壊しに行く勤労動員があり、そう言う材木を
貰えたこともありましたっけ。

風呂釜からの排水は、ちゃんとコックがついていましたから、それを開けるだけ。

また、底板は、釜の中に3ヶ所、出っ張りがあるのにひっかける仕掛けになって
いました。丸い板に、切り込みがあって、それに合わせて沈めて、ちょっと回すと
引っ掛かる仕掛けでしたね。
まれに、それが外れると、浮いて来る板を抑えながらはめて回すと言う作業が
必要になりました。

うちのは円形でしたが、夏子さんちのが楕円形だったらしいので、びっくりして、
調べましたら、なるほどあるのですね。

例えば、

https://www.daiwajuko.co.jp/products/maruhiro/choshu.html

それはそうと、東海道膝栗毛に、入浴シーンがあり、底板が外れて大騒ぎ?
の場面があり、そのイメージが、小判型の木桶の風呂らしいのに、底が熱いと
騒ぐので、どう言う構造かと思ったのですが、実際そう言う風呂もあるのですね。
これは見たことがありません。

とにかく、懐かしい物を思い出させて頂き、有難うございました。


[No.3361] Re: 私のお風呂体験 投稿者:夏子  投稿日:2018/04/04(Wed) 15:46
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七君さん、皆さん、こんにちは。

> 風呂釜からの排水は、ちゃんとコックがついていましたから、それを開けるだけ。

meguさんのコメントでも感じましたけど、風呂栓には、鎖のようなものは
付いていなかったわけですよね?

すると、残り湯が多い場合は、袖をまくり上げるとか、あるいは、湯桶などで
栓を抜く前に水を掻い出しておくとかの作業があるんですかね?

> また、底板は、釜の中に3ヶ所、出っ張りがあるのにひっかける仕掛けになって
> いました。丸い板に、切り込みがあって、それに合わせて沈めて、ちょっと回すと
> 引っ掛かる仕掛けでしたね。

そう、私もそんな記憶があります。でなきゃ、お湯に浸かってたり出たりする
たびに、底を沈めるんじゃ、めんどくさ過ぎますもん(^^ゞ

> まれに、それが外れると、浮いて来る板を抑えながらはめて回すと言う作業が
> 必要になりました。

ハハハ、結構、あったかもね。

> うちのは円形でしたが、夏子さんちのが楕円形だったらしいので、びっくりして、
> 調べましたら、なるほどあるのですね。

いえ、ウチのは楕円形ではなくて、長方形でしたが、ここで、自分の書き込みに
疑問が・・・・(^^ゞ 円形でなかったら、どうやって、出っ張りに底板を固定
することが出来たんだか??(^^ゞ 

忘却とは忘れ去ることなり。忘却が年ごとに増えて行く私なのでありましたヽ(^o^)丿
夏子


[No.3367] Re: 私のお風呂体験 投稿者:七君  投稿日:2018/04/05(Thu) 09:42
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夏子さん、皆さん、こんにちは

> > 風呂釜からの排水は、ちゃんとコックがついていましたから、それを開けるだけ。
>
> meguさんのコメントでも感じましたけど、風呂栓には、鎖のようなものは
> 付いていなかったわけですよね?

あは、大分ずれた話になってます。
コックと言うのは、栓ではないのです。
うちにあった五右衛門風呂は、浴室内にあって、コンクリートで囲われていました。
そして、焚口は壁の外の別室にありました。コックはそこにあって、ひねれば水が
下水に流れて行きます。ですから、水位の調節は、浴室側で見ている人がいないと
どれだけ出たかわからないことになります。声を掛け合うわけです。

> > また、底板は、釜の中に3ヶ所、出っ張りがあるのにひっかける仕掛けになって
> > いました。丸い板に、切り込みがあって、それに合わせて沈めて、ちょっと回すと
> > 引っ掛かる仕掛けでしたね。
>
> そう、私もそんな記憶があります。でなきゃ、お湯に浸かってたり出たりする
> たびに、底を沈めるんじゃ、めんどくさ過ぎますもん(^^ゞ
>
> > まれに、それが外れると、浮いて来る板を抑えながらはめて回すと言う作業が
> > 必要になりました。
>
> ハハハ、結構、あったかもね。
>
> > うちのは円形でしたが、夏子さんちのが楕円形だったらしいので、びっくりして、
> > 調べましたら、なるほどあるのですね。
>
> いえ、ウチのは楕円形ではなくて、長方形でしたが、ここで、自分の書き込みに
> 疑問が・・・・(^^ゞ 円形でなかったら、どうやって、出っ張りに底板を固定
> することが出来たんだか??(^^ゞ 

さらにびっくりです。長方形と言うと、木でできているのですか?
それとも、やはり鉄製?

https://www.daiwajuko.co.jp/products/maruhiro/choshu.html

上のページの下の方にある長方形のは受注生産ですから、高価なのでしょうね。
これにも、下部に蛇口をつける構造がありますよね。


[No.3350] Re: 私のお風呂体験 投稿者:Pan  投稿日:2018/03/30(Fri) 22:07
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夏子さん、みなさん こんにちは。

> >  子供のころはその五右衛門風呂に祖母と一緒に入って蜜柑を食べたりした思
> > い出があります。遊びながら入って10まで数えて出るようにと言われたのも懐
> > かしい思い出です。ひぃーふぅーみぃーよぅ−いつ、むぅ〜〜〜
>
> 可愛いまやちゃんが想像されます(^o^)/ そういう記憶は全然ありません。
> 仰向けに抱きかかえられて、父に髪を洗われるのが苦しい思い出だったくらい(^^ゞ
> 下手だったんでしょうね、父も。

 入浴中ににミカンを食べたこともありますね。(^-^)
 衛生的なことは念頭に無かったです。

 ミカンの皮だけを布袋に入れて、浴槽に放り込んだこともあります。

 兄弟が多いので小学生の頃から下の子の世話もやらされましたから溺れさせない
ように細心の注意を払いました。

 下に5人もいますが、幸い一人も溺死していません。(^^)

    ***** Pan *****


[No.3351] Re: 私のお風呂体験 投稿者:男爵  投稿日:2018/03/31(Sat) 05:42
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Panさん、夏子さん、まやさん、みなさん こんにちは。

>  ミカンの皮だけを布袋に入れて、浴槽に放り込んだこともあります。

このアイデアは今も使えそう。

>  兄弟が多いので小学生の頃から下の子の世話もやらされましたから溺れさせない
> ように細心の注意を払いました。
>
>  下に5人もいますが、幸い一人も溺死していません。(^^)

昔は子どもの数が多かったのですね。


[No.3353] Re: 私のお風呂体験 投稿者:夏子  投稿日:2018/04/01(Sun) 10:44
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Pan さん、ツリーの皆さん

>  入浴中ににミカンを食べたこともありますね。(^-^)
>  衛生的なことは念頭に無かったです。

私にとっての入浴は、ひたすら、本来の目的だけの入浴で、ミカンその他を
食べたことはありません。

>  ミカンの皮だけを布袋に入れて、浴槽に放り込んだこともあります。

これは今でも参考になります。今年ほどミカンを食べた年はないのに、
皮はすべて捨てていました。残念なことをしました(^^ゞ

>  兄弟が多いので小学生の頃から下の子の世話もやらされましたから溺れさせない
> ように細心の注意を払いました。
>
>  下に5人もいますが、幸い一人も溺死していません。(^^)

アハハ、よかったですねぇ。ひとりでも溺れさせていたら、死ぬまで、入浴の
たびに後悔に胸を締め付けられることでしょう。
夏子


[No.3354] Re: 私のお風呂体験 投稿者:めぐみ  投稿日:2018/04/01(Sun) 20:58
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夏子さん、ツリーの皆さん。

風呂を焚く時間、私ガキの頃はラジオを聴きながら風呂を焚きましたね、しゃら〜りしゃらりこ、、、、、、おてなの塔とか赤胴鈴之助とか一丁目一番地とかでしたか、遊んで居ても、カラスが鳴くから帰ろじゃなくってあの音楽が聞こえると6時〜6時30分の放送でしたかね、風呂のカマドの前に腰かけて藁や落ち葉や薪を燃やしましたね。冬時間じゃもっと早かったかな?

五右衛門風呂釜の湯抜きの栓は20-30センチの丸棒に布団ハの切れ端を巻き付けて防水にしましたよね。

今じゃ考えられない風景でしょうか?


[No.3355] Re: 私のお風呂体験 投稿者:安房守  投稿日:2018/04/01(Sun) 21:50
[関連記事URL:http://awa.o.oo7.jp/

ツリーの皆さん、こんばんは。

私は浪人していた頃、川口市で鋳物工場をやってた叔父の家に一年くらい居候をしたことがあります。
三人くらい入れる五右衛門風呂がありまして代わり番こに入っていました。
みんなオチンチン丸出しで恥ずかしかった思いがあります。

> 風呂を焚く時間、私ガキの頃はラジオを聴きながら風呂を焚きましたね、しゃら〜りしゃらりこ、、、、、、おてなの塔とか赤胴鈴之助とか一丁目一番地とかでしたか、遊んで居ても、カラスが鳴くから帰ろじゃなくってあの音楽が聞こえると6時〜6時30分の放送でしたかね、風呂のカマドの前に腰かけて藁や落ち葉や薪を燃やしましたね。冬時間じゃもっと早かったかな?
>
> 五右衛門風呂釜の湯抜きの栓は20-30センチの丸棒に布団ハの切れ端を巻き付けて防水にしましたよね。
>
> 今じゃ考えられない風景でしょうか?


[No.3363] Re: 私のお風呂体験 投稿者:夏子  投稿日:2018/04/04(Wed) 16:05
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安房守さん、ツリーの皆さん、こんにちは。

> 三人くらい入れる五右衛門風呂がありまして代わり番こに入っていました。
> みんなオチンチン丸出しで恥ずかしかった思いがあります。

アハハ、分かります(^o^)/
紅顔の美少年の頃ですものね。
夏子


[No.3368] Re: 私のお風呂体験 投稿者:めぐみ  投稿日:2018/04/05(Thu) 19:52
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夏子さん、 安房守さん、ツリーの皆さん、こんにちは。

> > みんなオチンチン丸出しで恥ずかしかった思いがあります。

> アハハ、分かります(^o^)/
> 紅顔の美少年の頃ですものね。

(⌒▽⌒)アハハ!厚顔&睾丸の?タマタマね(^^)/。


[No.3371] Re: 私のお風呂体験 投稿者:安房守  投稿日:2018/04/05(Thu) 20:39
[関連記事URL:http://http-//awa.o.oo7.jp/

五右衛門桶の中に2、3人、洗い場に3、4人、毛が有るのないので大騒ぎでした。




> 夏子さん、 安房守さん、ツリーの皆さん、こんにちは。
>
> > 紅顔の美少年の頃ですものね。
>
> (⌒▽⌒)アハハ!厚顔&睾丸の?タマタマね(^^)/。


[No.3362] Re: 私のお風呂体験 投稿者:夏子  投稿日:2018/04/04(Wed) 15:59
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めぐみさん、こんにちは。

> 風呂を焚く時間、私ガキの頃はラジオを聴きながら風呂を焚きましたね、しゃら〜りしゃらりこ、、、、、、おてなの塔とか赤胴鈴之助とか一丁目一番地とかでしたか、遊んで居ても、カラスが鳴くから帰ろじゃなくってあの音楽が聞こえると6時〜6時30分の放送でしたかね、

あれ?と思って、もしやと名簿を調べたら、同い年でしたわ(^o^)/
私達、ラジオの子でしたよね。我が家は、テレビが入るのは比較的遅くて、高校に
入ってからでした。

>風呂のカマドの前に腰かけて藁や落ち葉や薪を燃やしましたね。冬時間じゃもっと早かったかな?

我が家の風呂の焚きつけは、古新聞と古割りばしかな。焚口にラジオなど
なかったので、しゃがんで炎を見てるだけだったかも。

> 五右衛門風呂釜の湯抜きの栓は20-30センチの丸棒に布団ハの切れ端を巻き付けて防水にしましたよね。

よく覚えておられますね。私なんか、栓の覚えは皆無。掃除は、子どもには
させなかったのかな。ああ、忘却の悲しさよ・・・
夏子


[No.3369] Re: 私のお風呂体験 投稿者:めぐみ  投稿日:2018/04/05(Thu) 20:03
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夏子さん、こんばんは。

> あれ?と思って、もしやと名簿を調べたら、同い年でしたわ(^o^)/

その様ですね(^^)/、改めましてよろしくです。

> 私達、ラジオの子でしたよね。我が家は、テレビが入るのは比較的遅くて、高校に
> 入ってからでした。

我が家はもっと遅かったかも、東京オリンピックの少し前だったなあ 日立キドカラーでしたよ。

> >風呂のカマドの前に腰かけて藁や落ち葉や薪を燃やしましたね。冬時間じゃもっと早かったかな?
>
> 我が家の風呂の焚きつけは、古新聞と古割りばしかな。焚口にラジオなど
> なかったので、しゃがんで炎を見てるだけだったかも。

居眠りもしたっけなぁ〜。

> > 五右衛門風呂釜の湯抜きの栓は20-30センチの丸棒に布団ハの切れ端を巻き付けて防水にしましたよね。
>
> よく覚えておられますね。私なんか、栓の覚えは皆無。掃除は、子どもには
> させなかったのかな。ああ、忘却の悲しさよ・・・

今の事は忘れますって(^^♪。要するに完全なるボケのスタートですエヘン(^_-)-☆。
自信ありです。


[No.3357] Re: 私のお風呂体験 投稿者:Kenza  投稿日:2018/04/02(Mon) 09:31
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夏子さん、みなさん、

> 今想像すると、笑えますねヽ(^o^)丿 裸で股を開いてバランスを取るわけで・・・
> 我が家の風呂は、長方形だったので、底板も長方形。もしかして、丸いほうが
> 簡単だったでしょうか?

丸いのも大変ですよ。7〜8歳の頃、一番風呂に入っていたのですが、
バランスを取ったうえで、足で底板を回転させて底の止め金具の出っ張りと
底板の切り欠きとを合わせます。そして、更に底板を下に押し下げ、少し廻して
浮き上がってこないようにする必要があったのです。

何しろまだ体重がありませんから、押し下げるだけでも大変で、回転させるのは
一苦労でした。失敗すれば火傷するという恐怖心もありました。


[No.3358] Re: 私のお風呂体験 投稿者:まや  投稿日:2018/04/02(Mon) 11:07
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みなさん、お早うございます。

 ここまで読んだ結果では、五右衛門風呂が多かったようですね。
 五右衛門風呂がこんなに一般的だとは、私には思いがけないことでした。

 というのは関西で過ごした学生時代、風呂のない下宿もありましたので、タ
イル張りの銭湯も経験。ほかに、桶のような木の風呂(家庭の浴室に置かれて
いて、木材を燃料にしていた風呂やプロパンガスを燃料にしていた風呂とか、
桐材で出来た大きな四角い高級な旅館にあるような風呂など・・・いろんな
お風呂を経験しました。

 思えば私の入浴の経験ももう80年を超えていますから、お風呂がいろいろと
変わっているのも当然ですね。でも、現在毎日のように享受しているお風呂が、
保育園時代に遊んだ泳げるくらいゆったりした広くて大きなお風呂というのも
私には有難いことです。

まや


[No.3365] Re: 私のお風呂体験 投稿者:夏子  投稿日:2018/04/04(Wed) 16:36
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まやさん、みなさん、こんにちは。

>  ここまで読んだ結果では、五右衛門風呂が多かったようですね。
>  五右衛門風呂がこんなに一般的だとは、私には思いがけないことでした。

昭和40年頃までは、地方では、たいてい五右衛門風呂だったのでは
ないでしょうか。

まやさんは、恵まれた特殊な環境にいらしたのかも。
ちょっと年上の友人は、お風呂の水は井戸から汲んで、風呂桶に何度も運んだ、
それが仕事だったと言ってましたね。

うちでは、蛇口をひねると水が出ましたので、水運びの苦労はありません
でしたが、くみ上げポンプでくみ上げた簡易水道?でしたからね。

>  思えば私の入浴の経験ももう80年を超えていますから、お風呂がいろいろと
> 変わっているのも当然ですね。でも、現在毎日のように享受しているお風呂が、
> 保育園時代に遊んだ泳げるくらいゆったりした広くて大きなお風呂というのも
> 私には有難いことです。

風呂掃除をしなくてもいいのが、一番ありがたい事かもね(^_-)
自宅にいると、風呂掃除が結構大仕事です(^^ゞ
カビが生えたりもして・・・
夏子


[No.3366] Re: 私のお風呂体験 投稿者:まや  投稿日:2018/04/05(Thu) 07:47
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夏子さん & みなさん、お早うございます。

> >  ここまで読んだ結果では、五右衛門風呂が多かったようですね。
> >  五右衛門風呂がこんなに一般的だとは、私には思いがけないことでした。
>
> 昭和40年頃までは、地方では、たいてい五右衛門風呂だったのでは
> ないでしょうか。
>
> まやさんは、恵まれた特殊な環境にいらしたのかも。
> ちょっと年上の友人は、お風呂の水は井戸から汲んで、風呂桶に何度も運んだ、
> それが仕事だったと言ってましたね。

 そのようですね。私は物心つくころから、蛇口をひねれば水が出るし、お湯は
溢れるようにイッパイはあって、入るときにはざぶざぶお湯が流れ出るというよ
うなお風呂で、湯水は毎日変えることになっているというのに慣れてしまってい
ると、親元を出てからのいろんなお風呂体験は貴重でした。

 そんなこんなで、独りでアパートを捜すときも自分の家を買うときも(建て売
り)お風呂は大事な点検部門になりました。そして、自分の家で40数年。ケアハ
ウスに入居するときには犬がいたので、「犬が飼える」ことを条件に入居したの
ですが、そこでのお風呂の状態は・・・節約のために自分の部屋にあった風呂は
使わずに共同風呂を使っていたのですが・・・ちょっと問題がありました。その
後愛犬が死んだものですから、そのケアハウスにいる必要もなくなったこともあ
り、たまたま今入居しているケアハウスを見つけたので(条件がよかったし)
転居したのです。
 お風呂という点でも雲泥の差・・・今は掃除もせずに泳げるほど大きなお風呂
でお湯を溢れさせているという状態・・・最高に恵まれています!(^^)!

まや


[No.3364] Re: 私のお風呂体験 投稿者:夏子  投稿日:2018/04/04(Wed) 16:16
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Kenzaさん、みなさん、こんにちは。

> 丸いのも大変ですよ。7〜8歳の頃、一番風呂に入っていたのですが、
> バランスを取ったうえで、足で底板を回転させて底の止め金具の出っ張りと
> 底板の切り欠きとを合わせます。そして、更に底板を下に押し下げ、少し廻して
> 浮き上がってこないようにする必要があったのです。
>
> 何しろまだ体重がありませんから、押し下げるだけでも大変で、回転させるのは
> 一苦労でした。失敗すれば火傷するという恐怖心もありました。

でしょうねぇ。あの底板の上にバランスを取って乗るのは、水の抵抗もあるから
難しいことでしょう。昔の子供は、たくましく育てられていましたよね(^o^)/

今時の子たちは、経験が少なくてかわいそうかも・・・・
昔は、子どもは多かったし、親は忙しかったから、手も目も今ほどかけて
いられなかった。
夏子