マサちゃん、みなさん、こんにちは。 > アルバイト 懐かしい言葉ですね。 > 僕が中学生の頃は、當時はやったラジオ少年でした。(ラジオの組み立てに夢中な少年)
5球スーパーと言うのが流行り出した時期にやりましたね。
多い日には1日に2台組んだこともあります。
それでも山奥の田舎では電波が弱く、韓国語の放送の方が声が大きかった のでアンテナを立てると抜群の効果がありました。 田舎では各戸に竹藪を持っていますから出来るだけ背の高いのを一本伐っ てきて近くの柿の木などに括り付けました。
> 昭和25年頃でしたか、まだNHKでテレビの試験放送をしていた当時、テレビを自作する決心をしました。
私の知人はそのテレビにはまりこみ、とうとう本職中の本職になりました。
私はそりよりも「計測と制御」の方に傾いて行きました。
それでも今思えば当時の5球スーパーが切っ掛けだったと思います。
> けれど肝心の資金がない。そこでアルバイトを始めました。 > 練炭売り・宝籤売り・電気屋さんの手伝い・年末の年賀郵便の仕分けなどなどいろいろな > アルバイトをして資金を捻出し、秋葉原の露店で米軍や日本軍の壊れた通信機などの部品 > を少しづつ集めて、昭和27年に、ついにテレビの自作に成功(当時高校2年)あんなにう > れしかったことはありません。
結局続けたのは家庭教師です。 個人でもやりましたが、知人に事業能力のあ る人が現れ、その人のお手伝いである会社の社宅で10人程のグループを2組教 えました。
その年齢で結婚できたのもその御陰です。 おっと、これは就職直後ですから 学生アルバイトではありませんね。 会社員になってからの「副業」でした。
日本では本来の労働の意味よりも副業の意味が多かったようです。
***** Pan *****
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