[No.2433]
学童疎開
投稿者:男爵
投稿日:2015/08/06(Thu) 20:16
[関連記事] |
> さて
> 藤子不二雄「少年時代」ですが
> これは東京の少年が富山に学童疎開する話で、一種のいじめ問題です。
学童疎開には二種類あって
それは、集団疎開と縁故疎開だったのです。
集団疎開とは先生に連れられてクラスの仲間と一緒に疎開するので
子どもたちの人間関係は気心が知れているから落ち着きます。
しかし、食べ物などの不足は都会と似たような状況。
縁故疎開は一人で親戚の家に疎開して、そこから地元の学校に通うから
一種の転校で、新しい人間関係に慣れるまで苦労しますが
食べ物は腹一杯食べられたようです。田舎では都会よりも食べ物があったから。
1942(昭和17)年4月18日
米軍のB25爆撃機は、東京、川崎、横須賀、名古屋、神戸などの都市を爆撃した。
全国で約41万人が疎開した。
1944(昭和19)年8月4日、東京都の集団疎開児童第一陣4800人が富山県に向けて出発した。
それから9月半ばまで集団疎開が進められ、約23万人が疎開した。
疎開先で一番多いのが長野県で約3万7千人、福島県、群馬県、静岡県に約2万7000人〜2万9000人が疎開した。
同じように横浜市、川崎市、横須賀市から神奈川県下、名古屋市からは愛知県下や岐阜県や三重県へ、大阪市からは大阪府下や、滋賀県、奈良県、香川県などへ
神戸市、尼崎市からは兵庫県下や鳥取県、岡山県へ疎開した。
日本本土の疎開児童数は総計約41万人になった。
沖縄県からは、宮崎県、熊本県、大分県に疎開した。、
予定されていた福岡県の門司、小倉、戸畑、若松、八幡では縁故疎開をする児童が多かったため、集団疎開は行われなかった。
1944年8月22日 沖縄からの学童疎開船対馬丸が米潜水艦に撃沈される。
学童疎開
http://www.amazon.co.jp/%E5%AD%A6%E7%AB%A5%E7%96%8E%E9%96%8B-%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%81%A7%E8%AA%BF%E3%81%B9%E3%82%8B-%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E5%8D%83%E8%91%89/dp/4591143414