昭和の部屋 
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[No.2494] Re: 8月15日 投稿者:まや  投稿日:2015/08/16(Sun) 23:16
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YKOMAさん、寒梅さん & みなさん、今晩は!

> > 8月15日ですね。もう70年前を記憶している方は少ないのです、私は
> > 被害者意識でずうっと過ごしてきました。加害者側でもあったのですね。
> > 今日は反省の言葉がめだちます。
> > 反省を強制されても相手に不信をいだくだけですけどね、
>
> そうですねえ。人それぞれの思いがあるでしょう。

 私には世の中が静かになった日という感想です。朝学校に行くと「今日は玉音放送
があるから・・・」と家に帰されました。その帰途、空が異様に青く、あたりが異様
に静かだったのを記憶しています。そして、正午の玉音放送がすんでから、私はまた
学校に行きました。
 
 そうしたら、教頭の次席の先生が登校した生徒を一つの教室に集めて「これから学
校制度がどうなるか判らない。しかし、どんなことをしてでも皆の勉学は続けさせて
やる。」と言われ、漱石の「坊ちゃん」を読んでくださったのを記憶しています。

 それから毎日、普通の授業が始まりました。福岡県では女学校は4年制でしたから
新制への変更のときに学制の変更に対処しなければなりませんでした。つまり、旧制
の女学校4年(福岡県と長崎県だけ女学校が4年制でした)で卒業するグループと、
新制高校の2年に進学するグループ、旧制の専門学校などに進学する少人数のグルー
プに分かれました。

 そこに教科担当の熱心な先生がいらして「女学校4年卒業でも将来のために高校3
年卒業と同等の学力をつけてやる」とおっしゃって、午後は特別クラスに分け、進学
希望者には体育や家庭科などは卒業に必要な時間数だけは授業を受けさせ、あとは新
制大学受験に必要な高校3年までに教わるような内容の授業をして下さいました。

 8月15日が過ぎてしばらくすると、男の先生方はゲートルを巻かなくなり、女の
先生方はだんだんにスカートや袴姿で登校なさるようになりました。私たち生徒はか
なり長いことモンペでした。

まや


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