[No.2528]
Re: 学生アルバイト
投稿者:Pan
投稿日:2015/10/01(Thu) 00:15
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マサちゃん こんばんは。
> 僕が中学生だったとき、当時はラジオの自作が流行っていました。
高校生になってからですが自宅にあった並3ラジオに手を加えて並
4にしたのが私の処女作です。
五球スーパーが出来はじめた頃が一番流行りましたね。
親戚や知人、更には小学校用に頼まれて五球スーパーは勿論、
大きな箱の電蓄を何台も作りましたが購入部品代だけ頂きました。
だからアルバイトの意識はありませんでした。
五球スーパーを一日に2台作ったときもありました。
酷い教頭先生もありましたよ。
領収証だけほぼ3倍の価格で頼まれました。 子供心にもその意味
は判りました。
名前も覚えています。後にその町の町長になりました。
>小遣いがもらえない僕は、アルバイトの大学生に雇われて、練炭や宝くじなどを売りました。
>一日50円の賃金、それでラジオの部品を買いました。
面白かったのは京都の祇園祭の行列で、太い竹の先に提灯を付けて馬
の前を歩いたときです。 これも「提灯持ち」の一つですね。(^-^)
白いはっぴのような着物を着て、草鞋履きで、四条通りを歩きました。
昭和26年頃でしたが、500円だったと思います。
境内を公園にすることになった神社から測量を頼まれて、友達と2人
で習ったばかりの平板測量と云うのもやったことがあります。
売買のための資料では無く自前で幼稚園を作るための資料でした。
これは一日で終わりましたが、一人1000円頂きました。
アルバイトではありませんが、中学2年の4月から終戦まで、勤労動
員に駆り出され、終戦後一日一円の計算で給料を貯金通帳で頂きました。
100円余りあったと思いますが、国家が潰れたのに後払いにせよ給
料が出たことには感動しました。 頭から無償だと思っていましたから。
これが私の生まれて初めての勤労収入ですが残年ながら何に使ったの
か全く覚えていません。
***** Pan *****