[No.811]
楠木繁夫
投稿者:男爵
投稿日:2012/03/30(Fri) 15:25
[関連記事] |
> > 小沢 昭一 (著), 大倉 徹也 (著)
> > 小沢昭一的流行歌・昭和のこころ
> > http://www.amazon.co.jp/%E5%B0%8F%E6%B2%A2%E6%98%AD%E4%B8%80%E7%9A%84%E6%B5%81%E8%A1%8C%E6%AD%8C%E3%83%BB%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%93%E3%82%8D-%E5%B0%8F%E6%B2%A2-%E6%98%AD%E4%B8%80/dp/410408803X
緑の地平線 楠木繁夫
http://www.youtube.com/watch?v=4UifUTistQw
小沢 昭一 があげる
昭和の心の歌のベストスリーは
東京ラプソディ ああそれなのに 緑の地平線
しかし、今の人はどれくらいの人が、楠木繁夫を知っているだろうか
と嘆く。
村田英雄の「人生劇場」も、最初は楠木繁夫の歌だった。
東京音楽学校に在籍していたが、学生運動で校則などに抗議したメンバーに入っていたため、高木東六らとともに除籍処分となった。
「歌う狸御殿」で共演した歌手の三原純子と結婚し
おしどり夫婦の歌手として、戦時中は工場慰問などに活躍した。
戦後に夫婦で出演した大映映画「春爛漫狸御殿」をはじめ、「蛇姫道中」「江の島エレジー」など映画にも活躍するが、当時流行していたヒロポン(覚せい剤)のために、往年の光彩を失っていった。
忙しいときでもヒロポンを使えば眠くないとして、当時の作家も使っていた時代があった。
NHK紅白歌合戦をはじめ、三原純子と夫婦揃ってのステージや巡業に活躍していたが、ヒロポン中毒のため、舞台から遠ざかるようになり
三原純子の肺結核の悪化が重なり、1956年(昭和31年)の春に夫婦揃っての名古屋でのステージが最後になった。
将来に悲観した楠木は、宝くじの当選で新築したばかりという東京・新大久保の自宅で、ひとり物置小屋で、首を吊って自殺。
故郷・飛騨高山で転地療養していた妻のも、彼の後を追うように1959年(昭和34年)に38歳の若さで世を去った。
南から南から 三原純子
http://www.youtube.com/watch?v=PGTasaEe2l0
すでに一部は紹介しましたね。
http://www.mellow-club.org/cgibin/free_bbs/12-semi2/wforum.cgi?no=660&mode=allread#672