みなさん、こんにちは。 小学生の時、近くを通っていた奈良電鉄(通称「奈良電」)と言うのがあり、その会社の主催する月一回の『健歩会』と言うのがありました。 勿論その電鉄沿線が行動範囲です。現在の『近鉄』の一部ではないかと思っています。 ありがたいことにその沿線はハイキング・コースにも恵まれていました。 当時から、父が植物採集をやっていましたから肩に採集した植物を入れる『胴乱』と言うのを掛けて、その会に付いて行きました。 なぜ、あれを『胴乱』と言うのでしょうね? 乱雑に放り込んで胴体に付けて持ち帰るからでしょうね。 帰ってからその小枝を整形しながら新聞紙の間に挟み、上から錘りを載せて乾燥させ、仕上げは画用紙に適宜添付して、いわゆる『植物採集』とい言うのを長年続けました。 後には奮発して、専用の「吸い取り紙」を乾燥目的に使いました。 夏休みの開けた翌日、『自由研究』の成果としてそのまま提出すれば良いのも助かりました。 中には『昆虫採集』と称して、まだ翅をバタつかせてるアゲハチョウを提出している仲間も毎年のようにありますが、私は通年で少しづつ続けていたので、その年の夏休みに新たに採集した分だけを持って行けばよく、何の苦労も感じませんでした。 実際の採集する品種も、年が経つにつれて採集済みの物ばかりになり、どこか違う場所を探すのに苦労したことはあります。 私の場合は、それが、今の私に続いているようで、「夏休みの宿題」として好都合でしたね。 但し、今はデジカメだけですから極めて楽です。(^-^) いまは、パソコンで名前を調べられるで助かりますが、名前をすぐに忘れるのだけは若い頃とちっとも変りません。 これからも変わらないでしょうね。 ***** Pan *****
Panさん & みなさん、今晩は!> 当時から、父が植物採集をやっていましたから肩に採集した植物を入れ> る『胴乱』と言うのを掛けて、その会に付いて行きました。> > なぜ、あれを『胴乱』と言うのでしょうね? 乱雑に放り込んで胴体に> 付けて持ち帰るからでしょうね。> > 帰ってからその小枝を整形しながら新聞紙の間に挟み、上から錘りを載> せて乾燥させ、仕上げは画用紙に適宜添付して、いわゆる『植物採集』と> い言うのを長年続けました。> 後には奮発して、専用の「吸い取り紙」を乾燥目的に使いました。> > 夏休みの開けた翌日、『自由研究』の成果としてそのまま提出すれば良> いのも助かりました。 胴乱・・・なぜこう言うのかわかりませんが、私も持っていました。 兄が使わなくなっていたのを譲り受けたものですが、女学校のとき に生物班などを作って課外授業などに持って行ったのを記憶していま す。ところがごく最近、電車で男の方が胴乱を持っているのを見かけ てとても懐かしく思ったものです。まだ使っている人がいるのです!> 中には『昆虫採集』と称して、まだ翅をバタつかせてるアゲハチョウを> 提出している仲間も毎年のようにありますが、私は通年で少しづつ続けて> いたので、その年の夏休みに新たに採集した分だけを持って行けばよく、> 何の苦労も感じませんでした。 昆虫採集もやりましたが、蝶や蛾を採集するときには三角箱を使ったのを記憶しています。ベルトなどで腰につけられるようになったアルミ製の箱です。セロファン紙に似た紙(なんという紙か失念)でできていて、蝶のようなものの羽を傷めないようにするために使用しました。(この三角箱は小さな植物を持ち帰るためにも使いました。) 今はもう採集などとは縁のない生活。カメラはいつも手元にありますが、最近はそのカメラも余程のことがない限り写すことはしなくなりました。 歳をとったせい? それに誰もがカメラを持っていることも理由ですね。 私が写真を撮ってあげる必要がなくなりました・・・(^_-)まや
まやさん、みなさん こんばんは。 > 胴乱・・・なぜこう言うのかわかりませんが、私も持っていました。 やっぱり持ていましたか? 昔は持っている人が多かったような気がしますね。 ただ植物採集だけではなく、他の目的にも適宜流用していた気がします。> 兄が使わなくなっていたのを譲り受けたものですが、女学校のとき> に生物班などを作って課外授業などに持って行ったのを記憶していま > す。ところがごく最近、電車で男の方が胴乱を持っているのを見かけ> てとても懐かしく思ったものです。まだ使っている人がいるのです! 最近でも植物採集はする筈ですね。 最近はそれに代わるもっと便利なものがあるのでしょうか?> 昆虫採集もやりましたが、蝶や蛾を採集するときには三角箱を使ったのを> 記憶しています。ベルトなどで腰につけられるようになったアルミ製の箱で> す。セロファン紙に似た紙(なんという紙か失念)でできていて、蝶のよう> なものの羽を傷めないようにするために使用しました。(この三角箱は小さ> な植物を持ち帰るためにも使いました。) それは良く覚えています。 あまり意識していませんでしたが、最近はその場でデジカメで写すだけで、虫や草花を持ち帰ることは殆ど無いですね。 誰でもその傾向が強いのでしょうか?> 今はもう採集などとは縁のない生活。カメラはいつも手元にありますが、> 最近はそのカメラも余程のことがない限り写すことはしなくなりました。 > 歳をとったせい? それに誰もがカメラを持っていることも理由ですね。 そう言えば、昔はカメラを持っている人も滅多に無かったですね。 父親が蛇腹式のバルダックスという名前のカメラを使っていましたからそのお古を貰って私が初めての北海道旅行に持って行った時、その蛇腹の一角に小さな穴が開き、帰ってから焼き付けたら、過半数の写真に不規則に白い筋が入り、没になったのには泣けましたね。 今、検索したら出てきたのには驚きました。正しくこれです。 http://ranzosha.web.fc2.com/d039baldax.html ***** Pan *****
Pan さん まやさんこんばんは、yukiです。> 父親が蛇腹式のバルダックスという名前のカメラを使っていましたから> そのお古を貰って私が初めての北海道旅行に持って行った時、その蛇腹の> 一角に小さな穴が開き、帰ってから焼き付けたら、過半数の写真に不規則> に白い筋が入り、没になったのには泣けましたね。懐かしい機種名です、有り難うございます。私も最初に使ったカメラが、このバルダックスでした。親父が伯父から譲り受けたという話でしたが、中学生頃に持ち出して使ったことがあります。レンズはカールツァイスとありますが、そこまでの記憶はありません。フィルムは幾らしたのだろう、きっとかなり高かったと思いますが、記憶ありません。
yukiさん まやさん、みなさん、おはようございます。> 懐かしい機種名です、有り難うございます。> 私も最初に使ったカメラが、このバルダックスでした。> > 親父が伯父から譲り受けたという話でしたが、中学生頃に持ち出して使ったことがあります。> レンズはカールツァイスとありますが、そこまでの記憶はありません。> > フィルムは幾らしたのだろう、きっとかなり高かったと思いますが、記憶ありません。 カメラの裏の赤い窓を通してフイルム NO.を確認しながら巻き上げましたね。 ブローニー版の半裁でしたから赤い窓を交互に見ればよかったのかな? 何だったか努力すればもう1枚撮れました。何だったのだろう? 儲けた思いでした。(^-^) ***** Pan *****
Panさん、yukiさん & みなさん、お早うございます。> > 懐かしい機種名です、有り難うございます。> > 私も最初に使ったカメラが、このバルダックスでした。> > > > 親父が伯父から譲り受けたという話でしたが、中学生頃に持ち出して使ったことがあります。> > レンズはカールツァイスとありますが、そこまでの記憶はありません。> > > > フィルムは幾らしたのだろう、きっとかなり高かったと思いますが、記憶ありません。> > カメラの裏の赤い窓を通してフイルム NO.を確認しながら巻き上げましたね。> > ブローニー版の半裁でしたから赤い窓を交互に見ればよかったのかな?> > 何だったか努力すればもう1枚撮れました。何だったのだろう?> 儲けた思いでした。(^-^) カメラや写真のこと、いろいろと思い出しています。 古い時代は皆さん、同じようなカメラに憧れたり、同じようなカメラを手にしていたのですね。父の趣味かカメラと写真で、子供のころから写真に親しんで来ました。焼き付け、焼きまわしも自宅でやるのです。自宅に暗室なんてありませんから、夜を待って、一部屋を占領して暗室にするのです。引き延ばしも自宅で・・・朝になったら、私たち子供は水につけたままの写真を見るのが楽しみでした。水洗いした写真を広げた新聞紙に並べて乾かすのです。 私が大学に行くときには家を離れるので、父は手持ちのカメラから一番安いのを私に持たせてくれました。蛇腹式のベビーパールでした(^_-)(父は「フィルムの現像や焼き付けはやってあげるから持って帰るといい」と言っていましたが、だんだんにそういうことをやってくれる店もできてきましたので、父にそれを頼むこともなく、近くの店に頼んで焼き増しをしてもらったのを友人たちに配った記憶があります。「手札」の半分くらいの大きさで一枚10円だったかな? 今は「手札」とか名刺判などという言葉も古くなりましたね(^_-) そのころからしばらくは私はいつも仲間の集まりのカメラマンでしたが、最近ではみんながカメラマンになりましたので、私は退散です。まや
まやさん、yukiさん、みなさん こんにちは。 > カメラや写真のこと、いろいろと思い出しています。> 古い時代は皆さん、同じようなカメラに憧れたり、同じようなカメラを手に> していたのですね。父の趣味かカメラと写真で、子供のころから写真に親しん> で来ました。焼き付け、焼きまわしも自宅でやるのです。自宅に暗室なんてあ> りませんから、夜を待って、一部屋を占領して暗室にするのです。引き延ばし> も自宅で・・・朝になったら、私たち子供は水につけたままの写真を見るのが> 楽しみでした。水洗いした写真を広げた新聞紙に並べて乾かすのです。> 最近ではみんながカメラマンになりましたので、私は退散です。 脱線ついでに、話代わって申し訳ないですが、随分昔の話で、小学生でした。『日光写真』と言ったと思います。 写真技術の一端には違いないですが、ご存知ですか? 私にとっては写真技術の原点だったと思います。 うろ覚えですから誤解も多いでしょうが、思い出してみます。 今で言うネガと言うのでしょうね? 既成の白黒反転画像の透明フイルムを買ってきて、黄色い専用印画紙に重ね、しばらく太陽光に曝すと陽画になるのです。 つまり、印画紙にポジの白黒画像が完成します。 当然、原版と完成画像は同サイズです。 その後の管理も難しく、暗室に保管しないと全部変色したような気がします。 それに飽きたら、家にあったネガ写真にその印画紙を当てて太陽光に曝し、思った通りの画像が浮かび上がった時は嬉しかったですね。 発明家になったような気分でした。 ***** Pan *****
画像サイズ: 322×338 (23kB)Panさん、まやさん、yukiさん、みなさん こんにちは。 > 脱線ついでに、話代わって申し訳ないですが、随分昔の話で、> 小学生でした。 > 『日光写真』と言ったと思います。 > 今で言うネガと言うのでしょうね? 既成の白黒反転画像の透明> フイルムを買ってきて、黄色い専用印画紙に重ね、しばらく太陽光> に曝すと陽画になるのです。日光写真は私もよく遊びました。押し入れから、昔の日光写真のネガが出てきて、ある人に送ったら懐かしいと言われました。これは高岡で見た昭和展のものでした。> それに飽きたら、家にあったネガ写真にその印画紙を当てて太陽> 光に曝し、思った通りの画像が浮かび上がった時は嬉しかったです> ね。アイデアマンですね。すばらしい!
男爵さん、まやさん、yukiさん、みなさん こんばんは。 > 日光写真は私もよく遊びました。> > 押し入れから、昔の日光写真のネガが出てきて、ある人に送ったら> 懐かしいと言われました。> > これは高岡で見た昭和展のものでした。 この上のはネガですね。個人の顔のようですから判ったって仕方ないですが、勿論印画紙に反転焼付して、配布したのでしょうね。 暗室作業はやたらと時間が掛かって、何らかの実験毎に大半の時間を過ごしました。 光景写真は誰にでも任せられますが、ちょっと特殊な実験データなどは自分でやらねばならず、時間の浪費が堪えた事を思い出します。 ***** Pan *****