[No.365]
田村高廣
投稿者:男爵
投稿日:2013/09/24(Tue) 07:08
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著者と田村は、京都府立第三中の中学生で
愛知県半田市乙川の中島飛行機に学徒勤労動員されたが、
空腹になやまされた。「空腹の快感を味わえ」と言った教師
昭和19年12月7日 東南海地方をおそった大地震に逢う。
級友13名が死んだ。
東条英機をうらむ。
・戦陣訓を言った本人が自決に失敗。沖縄県民の悲劇の責任は東条にある。
・雨の中の神宮外苑での学徒出陣壮行式、大学生は徴兵が延期されていたのに、文科系の学生はその制度を廃止。文科系大学生のあとに中学生が通念動員で、同級生が半田の工場で地震被害にあう。(著者は天災ではなく人災だという。東条のせいだ)
田村高廣は外見は坂東妻三郎とそっくりだったが
父は豪放磊落、息子は無類の堅物、異性とのスキャンダルはない。
父の葬儀のあと、番頭(マネージャー)の河原さんから「貿易会社をやめて俳優になってくれ」と頼まれる。
坂東妻三郎の襲名は、何度も話があったが、かたく辞退した。
「二十四の瞳」は俳優になって二作目だが、さすがにうまい。
(第一作は「女の園」だった)
やがて終戦後のある日、大石先生は島の分校場に戻って来る、
そこにはかっての教え子達の子供等がいた。面影があり懐かしくも悲しくもあり涙ぐむのである。
そんな、ある日教え子達が歓迎会をしてくれる。
そこへ岡田磯吉(田村高廣)ことソンキが来た。
戦争で失明していたのであるが、飾ってあった皆の写真を取り指でたどってゆく「この写真はみえるんじゃ、ほら真ん中のこれが先生じゃろ、その前にわしと竹一と仁太が並んどる・・・」皆が心を打たれ涙ぐむ。
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