画像サイズ: 828×695 (65kB) | まやさん & ザックスさん、こんにちは! > > > 中国人も韓国人も、ラーメンは日本食と考えているようですが... > > 日本蕎麦のことは別にして、ラーメンのことを少し書きますね。
> 私が育った福岡県では戦後しばらくまで、ラーメンは「中華そば」でした。 > 私の記憶では関西でも「中華そば」だったと思います。そして昭和30年 > (1955年)に札幌生活が始まって、私の頭は初めて「中華そばがラーメン」と > いうことを理解し、切り替わったのを思い出しました。それまではザックスさ > んが写真をアップされたような「そば」は神戸あたりでも「日本蕎麦」と呼ば > れていたように思います。 > > ですから、最近の「ラーメン」はやはり日本食でしょうね。
まやさんは九州から札幌までの食の経験があるんですね。
食の研究者小菅桂子先生によれば 札幌ラーメンのルーツは大正11年に、北大正門前にできた竹屋食堂だとのこと。
その店で働く中国人の調理人の王文彩さんの作る料理は評判が良く、多くの中国人留学生は食事におしかけた。 そのとき、台湾の大学から北大に移ってきた医学部教授のちの北大総長の 今裕(こんゆたか)医学博士も、本格的中華料理の竹屋食堂のファンになり、 博士の提案により、支那料理竹屋に店の名も変えた。
王さんと交代して二人の中国人が料理人となった。 そして 中国人留学生に人気のあった「肉絲麺(ロウスーミェン)」 これを、日本人の口に合うよう工夫して、 焼き豚、シナチク、葱を入れた今日のラーメンができたのは大正15年の夏。
さて、この料理の呼び名を おかみさんはかつて王文彩さんが料理ができあがったとき調理場から「好了(ハオラー)」 と言っていたことを思いだし、好了の了(ラー)をとって、ラーメンに したらどうかと提案した。 その瞬間にラーメンの名が生まれたというのが定説だ。
竹屋のおかみさんは孫たちに自慢したらしく、1人の孫が北海道新聞に 祖母がラーメンを命名したいきさつを投稿している。
しかし、当時すでに、横浜南京街では焼き豚、シナチク、葱を入れた今日のラーメンの原型ができていたし、浅草来々軒でも同様のメニューがあったという。 だから、小菅桂子先生は全国各地でラーメンは生まれるべくして生まれたもので、 竹屋のラーメンは命名のいきさつがたまたま記録に残っていたものであったろうと推察している。
参考文献 小菅桂子:にっぽんラーメン物語、講談社
私が思うに ものの本にシンガポールでは、中国系シンガポール人はいちおう英語を話すが 言葉の終わりに 「...○○ラー」というと書いてあります。 シンガポール人の独特の英語はシングリッシュと呼ばれます。
つまり、中国人の口癖の 「(○○)ラー」 そこから、ラーメンのラーがきたのではないかと推察します。
>「Can not lah !」「OK lah !」「Never mind lah !」といった具合に、語尾に「lah(ラ〜)」がつくのもシングリッシュの特徴の1つ。 >「lah」に特に大きな意味は無く、「Can not」=「出来ません」に「lah」が付くと、「Can not lah !」=「出来ないよー! 」といった感じです。 >また、文末につけ「〜lah ?(ラ〜?)」と語尾を上げるだけで疑問文になる便利な言葉でもあります。 http://allabout.co.jp/gm/gc/39901/ |