[No.517]
向田邦子と「さつま揚げ」
投稿者:男爵
投稿日:2014/04/13(Sun) 19:42
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向田邦子の「父の詫び状」を読んでいます。
彼女の父親は保険会社の鹿児島支店長になったので、一家は鹿児島に引っ越しした。
向田邦子は小学三年生の時だった。
今ならデパートで地方物産展があり居ながらにして日本全国の名物が味わえるが、戦前の話なので、その土地の食べ物はその土地へ行かなくては口に入らなかった。
一家はさつま揚げに夢中になった。
土地の人たちはさつま揚げとは言わず、「つけ揚げ」と言った。シッチャゲという言い方をする人もいた。一個一銭だった。
向田邦子は、はじめての土地に行くと、必ず市場を覗くという。
そんな一角にかまぼこ屋を見かけると、落ち着かなくなる。それも、店先に油鍋を据えてさつま揚げを揚げていたら、そのさつま揚げが平べったいのではなく、人参やごぼうの入っていない棒状のだったりしたら我慢できず「もしかしたら...」と思って買ってしまう。
そして食べてみて裏切られる。揚げたてのさつま揚げは、その土地なりにおいしいのだが、彼女にとってのさつま揚げは、小学三年生の時に食べたあのさつま揚げでなくてはならないのだ。
この本に書いてあるさつま揚げは、小学校の帰りに、よく薩摩揚屋へ寄り道して見物したことを書いている。
練り上げた魚のすり身を、二挺の包丁を使って太めの刺身のサク程の大きさに作る。
それを刺身包丁で切りとるようにしながら棒状にまとめて、たぎった油鍋へ落とし込む。
シューと金色の泡を立てていったん沈み、みごとな揚げ色がついて浮いてくる。
あれは胡麻油だったのだろうか、香ばしい匂いと手ぎわのよさに酔いながら見あきることがなかった。