私は 昭和の20年代の後半に生まれましたから 戦争のことはまるで分からないのですが 子供の頃は まだ戦後の名残が残っていました
小学校に上がる前あたりだったか 蚤・虱(のみ・しらみ)の駆除のためだったのか 近くの子供たちと一列に並び DDTなる白い粉を浴びた思い出も残っています
鹿児島市の城山の麓の町(山下町)に住んでいたのですが 近くに防空壕が有り そこに一人の男性が住んでいました
子供たちは何か怖い人のような近づけないイメージで彼(「防空壕のオジチャン」って呼んでいた)を見ていたと思いますが 或るときそのオジチャンが近くで遊んでいた子供たちに面子(メンコ)のような絵の付いた真新しい束をくださったのです
その時から あぁ、このオジチャンは怖くないんだって考え直したのでしたが 暫くしてオジチャンは防空壕の中で息を引き取られた(まだそんなに年を取っていたわけでは無かったと思っています)ということで 市の係の人たちがその防空壕に網をかけて入れなくなったことを覚えています 寂しくて悲しい思い出です
- Joyful Note -