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記憶の中の戦中・戦後の『履物』事情 投稿者:こっこ亭 投稿日:2022/08/08(Mon) 12:51 No.17

終戦の日5才7か月の私、我らの『履物』は「下駄」か「わら草履」

それも履いていれば良いほうで、二本の歯はとうに減ってしまって、
本体の“台”が後ろの部分から磨り減り、鼻緒の穴に届いてその
用をたさなくなるまで履いていた子が多勢いた。

わら草履も減って、減って、かかとが地面につく状態の物を平気で
履いていた子もいた。
“雨”に濡れた草履の重かったこと、気持悪かったこと。
『それ』しか、なかったから・・・

それ以上に履物が全く無くて、裸足で飛び回っていた子も沢山いた。

鼻緒が切れると、親がはぎれや手ぬぐいの端っこを切り裂いて
器用にすげ替えてくれた。
大きくなると、自分でもすげ替えた。

私自身、食糧事情やこの点においても、貧しいながらも恵まれていた
方かもしれない。
親が頑張っていてくれたということだろう・・・

終戦の翌年21年に小学校入学を迎えているが、学校に上がり、
『靴(ズック)』を買ってもらったのはいつ頃だったのだろう?


ただ、嬉しくて天にも登るような気持で、履き下ろすまで、床の間や
枕元において、光り輝く「それ」を眺めていた光景は今も覚えている。
自然に『笑み』がこぼれていた。

貧しくとも、“心豊かな”少年期を過ごせたことを今になって、感謝
している。

物の豊かすぎる今、心の貧しい人がいかに多いか・・・

8月15日、終戦(敗戦)の日。
祈ろう!“核廃絶”と未来永劫の“世界平和”!!

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