不思議な国のアリスと戦後の話
私の両親は戦後福岡市の大濠公園近くの商店街で「薬局」を営んでいました。
この大濠公園の側には 郵政省の出先で保険局の茶色の大きな5~6階建ての建物がありました。(現在も保健局としてあります)。福岡大空襲で焼け残ったこのビルは朝鮮戦争時は占領軍に接収されていました。 この当時焼け残っていた大きな民間の家は ほとんど占領軍関係者の住居となっていました。
歳の暮れに その軍から薬局へ電話が入りました。
「モシモシ・・・スミマセン センジツ お願いしました○○です。」
「順番がきましたので △△に電話の側で待つ様に 伝えて頂けませんでしょうか?」
事前に話はついていたと見え 兄さんが△△さん宅へ連絡に走りました。
外人の△△さんは 娘さんを連れて走ってきました。
私と同年齢のような娘さんは 冬なのに半袖の真っ白なドレス姿でした。
真っ赤なホッペと 金髪は初めて見る 生きたフランス人形でした。
母さんは急ぎウールの濃いいピンク色の私のマフラーをその可愛い子にかけてあげていました。
練炭火鉢しかない 当時の日本の家屋は寒かったのです。
なかなか時間になっても国からの電話が入らず 女の子は持参した「本」を見ていました。
店先では近所の人も交え たどたどしい 英語の辞書と日本語の応答で やっと
ごの方はオランダ人で明日帰国するのに東京経由の変更を家族に知らせる電話だという事がわかりました。
連合軍の一斉の帰国で連絡用の電話回線が足りなくなったので一般家庭へ電話線の利用の要請があったのだと 後で母さんから聞きました。
彼女は持参の外国の本を見せてくれました。それは「不思議の国のアリス」でした。私は父さんが商店街の古物商から手に入れてくれていた少年少女世界文学全集に載っていたので お互いの本をみながら 言葉が分からないでも挿絵で充分 分り合えました。
どうしてか私は唄を歌い始め 又、女の子もお父さんと歌ってくれました。
オランダからの電話が繋がり 親娘は又走って帰って行きました。さよならと言ってくれました。
次の日に ピンク色のマフラーと一緒にクリスマスケーキが届きました。大きなバラの花をたくさん飾ったデコレーションケーキでした。一切れずつ私が隣近所にもってまわりました。
親子で唄ってくれた歌は「のばら」だったのです。(かあさんはそう言ったのです。)
私が唄った歌は「可愛い魚屋さん」 と 「みかんの花咲く丘」 でした。
- Joyful Note -