長くなると読みにくくなるから、わけて書きます。 さて、日米の先生としての体験から ダニエル先生は日本の教育の問題点を述べている。
欧米の教育は個性を大事にしている。 日本は個人個人の能力を底上げするというよりも、グループ全体の レベルをアップさせようとしている。 欧米ではユニークさをのばす教育なのに、日本では目立ったことをすると 先生も評価しない傾向があるし、子ども仲間でもいじめの目標にされたり 授業の後で、へまなことを仲間から笑われたりするから なかなか発表しない。これは私も実感する。 欧米では同じ年齢の子どもでも、その学力に応じて 勉強のできる子どもは特別クラスに入れてエリート教育をする。 逆にみんなについていけない学力不足の生徒とみなされると 下のクラスに入るようすすめられる。本人も親も下のクラスに 入れられても問題と思わず納得しているという。 しかし、日本では同じ年代のクラスに入れられないで 自分より小さい子どものクラスに入れられると、落ちこぼれという レッテルをあからさまに貼られたような感じがして 抵抗感があると思う。 アメリカは個人主義の国なので、特定の教科が遅れても、 べつに恥ずかしくないという生徒は多いという。 アメリカの成績のつけかたは三本柱がある。一つは試験、 もう一つは作文、そして積極性である。総合的に成績をつけるという。 こうしてアメリカの子どもは積極的に先生に質問するという。 自分でものを考えて自分の意見を発表するのが苦手な日本の大学生、しかたがないですね。 生徒が万引きした。中学校の担任の先生が警察に行って、親と一緒に謝る。 しかし、当の本人は謝らない。こうしてしまうと甘えてしまって、本人のためにならない。 こういうときはしっかりと罪の意識を与えたほうがいい、しっかり謝らせたほうがいい。 アメリカではこんなとき、親を呼んでも先生を呼ぶことはまずありえない。 警察に呼ばれても行かない親さえいる。「あいつが勝手にしたんだから刑務所に入れてやってくれ」そういう親が多いそうです。 日本の英語教育は、ローレンスとかシェークスピアの文学を専門にしている 大学教授が入学試験問題を作るから、読み書き中心の英語学習になってしまう。 それをやめて、役に立つ英語、人とコミュニケーションをとるための手段としての英語を教えるべきだ。 (本学では、工学部の先生から、役に立つ英語をと注文され、最近はコミュニケーション語学をするようになりました)
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