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[No.1686] 国際交流 投稿者:ポテト  投稿日:2005/01/24(Mon) 08:56
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ここは時事問題を書くところのようです。
イラク情勢などありますが深刻なので、ちょっとわきにおいておいて
国際交流について書きます。
大学にいると外国からお客さんが来るし、留学生が来るのです。
外国人とのコミュニケーションはといえば、まず英語を頭に浮かべるでしょう。
ほんとうは、地球上の各国や民族で、英語を話す人の数は半分もいないのですが
日本人はついつい外国人には英語で話しかけたくなります。
テレビで有名なダニエル・カールの本を読みました。
彼は山形にきて、中学校の英語指導主事助手として3年間仕事をして
その間に山形弁が上達し、米沢出身の英語の先生と結婚して
すっかり東京に落ち着いています。

中学3年生は受験英語のプレッシャーがコミュニケーションとしての
英語の学習にマイナスになっている。
1年生は先入観がないから、ゲーム感覚で英語を受け入れるので、
外国人とふれあうことが楽しいと感じる。
ダニエル先生は、季節季節にあわせて興味あるテーマで教材を作る。
クリスマスにはサンタクロースのかっこうをしたり、ハローウィンでは
カボチャのジャコランタンと魔女とコウモリと吸血鬼の絵を描いたり、
7月4日には独立記念日のことやアメリカの歴史をわかりやすいように話す。
ダニエル先生は日本での失敗(はじめて刺身を食べたとき、ワサビを真っ先に食べて悲惨なめにあった)
を紙芝居にして見せる。言葉はなくてもおかしさは理解される。


[No.1687] Re: 国際交流 投稿者:ポテト  投稿日:2005/01/24(Mon) 09:17
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長くなると読みにくくなるから、わけて書きます。
さて、日米の先生としての体験から
ダニエル先生は日本の教育の問題点を述べている。

欧米の教育は個性を大事にしている。
日本は個人個人の能力を底上げするというよりも、グループ全体の
レベルをアップさせようとしている。
欧米ではユニークさをのばす教育なのに、日本では目立ったことをすると
先生も評価しない傾向があるし、子ども仲間でもいじめの目標にされたり
授業の後で、へまなことを仲間から笑われたりするから
なかなか発表しない。これは私も実感する。
欧米では同じ年齢の子どもでも、その学力に応じて
勉強のできる子どもは特別クラスに入れてエリート教育をする。
逆にみんなについていけない学力不足の生徒とみなされると
下のクラスに入るようすすめられる。本人も親も下のクラスに
入れられても問題と思わず納得しているという。
しかし、日本では同じ年代のクラスに入れられないで
自分より小さい子どものクラスに入れられると、落ちこぼれという
レッテルをあからさまに貼られたような感じがして
抵抗感があると思う。
アメリカは個人主義の国なので、特定の教科が遅れても、
べつに恥ずかしくないという生徒は多いという。
アメリカの成績のつけかたは三本柱がある。一つは試験、
もう一つは作文、そして積極性である。総合的に成績をつけるという。
こうしてアメリカの子どもは積極的に先生に質問するという。
自分でものを考えて自分の意見を発表するのが苦手な日本の大学生、しかたがないですね。
生徒が万引きした。中学校の担任の先生が警察に行って、親と一緒に謝る。
しかし、当の本人は謝らない。こうしてしまうと甘えてしまって、本人のためにならない。
こういうときはしっかりと罪の意識を与えたほうがいい、しっかり謝らせたほうがいい。
アメリカではこんなとき、親を呼んでも先生を呼ぶことはまずありえない。
警察に呼ばれても行かない親さえいる。「あいつが勝手にしたんだから刑務所に入れてやってくれ」そういう親が多いそうです。
日本の英語教育は、ローレンスとかシェークスピアの文学を専門にしている
大学教授が入学試験問題を作るから、読み書き中心の英語学習になってしまう。
それをやめて、役に立つ英語、人とコミュニケーションをとるための手段としての英語を教えるべきだ。
(本学では、工学部の先生から、役に立つ英語をと注文され、最近はコミュニケーション語学をするようになりました)


[No.1688] Re^2: 国際交流 投稿者:なごやか  投稿日:2005/01/24(Mon) 21:38
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ポテトさん こんばんは

> 欧米の教育は個性を大事にしている。
> 日本は個人個人の能力を底上げするというよりも、グループ全体の
> レベルをアップさせようとしている。

以前からいわれていることですが、やっぱり個性を重視すべきだと
思います。
小学校の運動会では、かけっこをしても順番をつけないとか聞いた事
がありますが、速い子はやっぱり誉めてやるべきだし、遅い子はそれ
で劣等感を持つわけじゃなく、速い子を尊敬すると思うし、夫々の
場面で優劣をつけるのは、夫々の個性を認めて延ばす事になると思う
のですが、なぜできないのでしょう?

なごやか