イタリア政治の行方ということになれば、今のところ、それを表現する言葉は、『混沌』しかないでしょう。
ベルルスコーニは、絶対多数を取ったものがいないのだから、連立の道しかないと主張していますが、外紙(「雪辱」という言葉を使っています)にもあるように、やっと五年目にめぐってきた絶好のチャンス、プロディー側は首相の座に着くのでなければもちろん、満足するわけがありません。
それはさておき、戦いが終わった後の町の風景を見るとそれなりに面白いのです。たとえば、例のコリョーネつまり「あほう」。元首相の勝利宣言に続いて、こんな風景も。『ぼく等は「阿呆」学生で〜す。先生、グアンバッテ』と書かれた紙片をかざして微笑む男女学生の群れ。
一方、そのプローディ氏の、孫との仲もまた、ほほえましく、演説会場の演壇で抱き上げた、可愛い孫娘、キアラちゃんの、白いティーシャツの胸には、赤い字で「おじいちゃんを、そうりだいじんに」と赤い字でくっきり。
また、広場で、初老の男の掲げる紙片に、虹色で「プローディをすぐ首相に」と書いてあります。これは日本語で書くと何の変哲もない表現ですが、前にヨハネ・パウロ二世の列聖を求める、ポーランドの群集が、「すぐに聖人に」と言う意味で、「サント・スビト」とやったのを下敷きにしているのです。
ちなみに「プローディをすぐ、首相に」は「プローディ・スビト」です。
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