皆さん 今日は
橋本さんがお亡くなりになりました。 謹んでご冥福を祈ります。 35斉の記憶もいい加減ですが、彼が最後の国会答弁で「金融システムの安定化」と、 何回もくり返した印象が強く残っています。
第82・83代首相:橋本龍太郎(96年1月〜98年7月) 「戦後型行政システムの改革」を旗印に1府22省庁を1府12省庁に、 再編し、特にこの中で内閣官房の下に「内閣府」を作ったことは意味深長。
いろいろな資料を見ると、其れまでは「予算編成の基本方針」は各省庁の、 積み上げを族議員と相談しながら全局長会議で調整し、官房長官に上げ、 其れを閣議に提出していた。この時点で総理が異議を挟む事は殆ど不可能。
そこで橋本さんは官僚の反対や骨抜きを蹴飛ばしながら、省庁再編のときに、 「内閣府」と言う隠しダマを用意した。そしてここに民間議員も入れた、 「経済財政諮問会議」を設置して首相主導のもとに予算編成の大綱を、 決める道筋を作った。(中央省庁等改革基本法・内閣府設置法など)
実際には内閣府設置法:99年、経済財政諮問会議実施は2001年1月からだが、 彼一流の粘り腰で、政策決定のプロセスを官僚から内閣府(首相)に、 取り上げた。――これが本来の姿だが――橋龍の功績は大きい。
然し其の彼もバブル崩壊後の「景気浮揚」と「財政再建」のはざ間で、 結局は消費税5%アップに足をすくわれ、山一破綻など金融危機寸前に、 追い込まれ、金融システム安定化を絶叫して引退。
小渕・森(98年7月〜01年4月) もうこうなったらと、「財政再建」を棚上げして「景気後退」に歯止めを、 掛けるべく自民党(経世会)お得意の公共投資に肩入れした。 お陰で国と地方の債務は急増、それでもお構いなしのお二人には、もって瞑すべし。
小泉(01年4月〜 経済財政諮問会議が発足したのは小泉さんが表舞台に出るたった3ヶ月前で、 小泉構造改革が2001年就任から首相主導でフルにエンジンを、 噴かすことが出来たのは、橋龍の置き土産のお陰であった。 更に、5%消費税の威力を心にとめて、死ぬまで消費税アップを否定し、 橋龍政策を反面教師として取り組んでいる事も感謝せねばなるまい。
ただ彼は前3人の首相と異なり、 橋本さん: 「財政(再建)」と「経済(景気浮揚)」の二兎を追った。 小渕・森: 「財政(再建)」に目を瞑り、「経済(景気浮揚)」は公共事業で、 まっしぐら。 小泉さん: 「財政(再建)」と「経済(景気浮揚)」一体で順序を決めた。 1:景気浮揚の足枷である不良債権を処理させる。 2:構造改革で景気回復を持続させる。 3:昔の借金はそれ以上増やさぬように2011年までに歳入歳出平衡させる。 4:消費税を段階的に上げる?
これが出来つつあるのも、全て最初に改革の道筋をつけてくれた、 橋本龍太郎元首相のあったればこそ! 橋龍さんやすらけく! そこでタイトル「橋龍死すとも、元祖骨太(経済財政諮問会議決議)は死なず」 35斉
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