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藁(わら)を打つ

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2004/12/25 9:56
ハム  新米 居住地: 岡山県  投稿数: 18
「むしろ」のことで話題が盛り上がっています。
それだけ「むしろ」は、私たちの生活の様々な場面で活用されて
いたということなのですね。
だから、「むしろ」の利用法やそれぞれの方の印象・思い入れが
多岐にわたるのも当然だと思います。
私が記憶している戦後から昭和40年頃までの岡山県南の農村部
での「むしろ」の利用法は次のようなものでした。
○新しいものは、脱穀をした籾(もみ)を天日乾燥させるために
 使用。(Panさんが既に書いておられる。)
 新しい「むしろ」はわらがよく締まっているので、柔軟性に乏《とぼ》 
しく子どもには扱いにくかったことを記憶しています。
○使い込まれたものは、田んぼで脱穀の時の下敷きとして使用。
 これは、籾《もみ》が地面にこぼれないようにするためと、作業の足下
 を固めるためと両方の意味があったと思います。
○相当に古くなったものは、かれいさんのおっしゃるように、滑
 り止めとしてぬかるんだところに敷いたりしていました。
○使用に耐えなくなったものは、細かくほぐして堆肥《たいひ》の材料として使用。
このように、Panさんが書いておられるように農家にとって「む
しろ」は、なくてはならない貴重なものであり、最後の最後まで
余すことなく活用し尽くしていたものでした。

「むしろ」の種類あるいはランクについては、残念ながら私には
分からないが、地域や用途によって色々なものがあったと考える
のほうが自然なような気がします。

「かます」については、我が家の倉庫を探してみたが残念ながら
見つけることができませんでした。
「かます」は、私の住んでいる地域では主に脱穀した籾を入れて
いました。したがって、「かます」には、およそ2斗(30キロ)
の籾が入る程度の大きさで、しかも取り扱いしやすく軽量である
ことが求められていました。
耐久性もそれほど高くはなく、あまり密には織られていなかった
と覚えています。
とはいえ、実物で確認しているわけではないので、あくまで私の
記憶ということでお許しください。
近所のどの家かにまだ残っていると思うので、見つかれば、はっ
きりさせたいと思っています。

--
ハム(把夢)

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