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亡父の日記にみる大正初期の正月

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2006/12/10 16:45
マーチャン  長老 居住地: 宇宙  投稿数: 358
 亡父の遺品のなかから、大正2年、亡父満20歳の折の日記を発見しました。















 「昔の人は真面目・勤勉」などという常識をすべて吹き飛ばすような、ある意味では痛快な日記ですので、敢《あ》えて公開させていただきます。なお、私にも「読めないところ」「意味のわからないところ」がたくさんありますが、面白そうなところを拾い読みしてみました。















1.正月早々、日記を忘れる

  七草まで遊びすぎて日記をつける暇がなかったから、まとめてつける―――といっていますが、その遊びの内容たるや「凧《たこ》をあげた」「羽をついた」と、正月早々、徴兵検査を受ける私大生としてはやや子どもっぽい。後は食べ物の話ばかりです。(私の子どもころも、お正月には子どもそっちのけで、凧に夢中になっていました)














2.七草 

  珍しく、七時に起床。
  父親(僧侶)より「今日の天気が雪とならなければいいが」とひやかされている。
  この父親(投稿者の祖父)も結構クチが悪いようです。














3.街も、のんびりムード

  大学の野球部がマニラのカーニバルに招待されての出発の日。
  新橋あたりをパレードしていたようですね。
  この頃から「海外遠征」なんて行われていたのでしょうか。
   「マニラ・ゴー」コールへ、「巣鴨ゴー(当時、巣鴨には精神病院があった)」と茶々を入れる人もいたようですね。「多分負けて帰ってくるだろう」と、これまた意地悪なコメント。

 でも、夜は「開山上人のお逮夜《たいや》(忌日前夜の意)」のお努めもしています。ただし、精進寿司にまで話が及ぶのがこの日記らしいところです。
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