大邱→晋州(10月8日)

韓国三日目の朝、大邱の空は今日も抜けるような青空だ!! 9時、バスに乗って高霊の伽耶大学に向かう。大学に到着したけど バスは門を入ってどんどん丘を登る、何と広い敷地、何と立派な建物、 こんな環境の良い学校で講義を受ける学生はシアワセだなぁ('-'*)

ここで李慶熙総長による高天原故地に関する説明を聞いた。 伽耶古墳の出土品は奈良古墳のそれと同じであること、日本書紀や 古事記に韓国の地名が出てくること、天照大神が孫のニギニノミコトを 伽耶(高天原)から豊芦原の中津の国(日本)に送ったこと、そのとき持 たせたのが、日本で「三種の神器」と言われる「勾玉・銅鏡・剣」である ことなどの記録があるそうな(@_@)

天孫降臨の地は高千穂と思っていたけど、ニギニノミコトが舟で渡って きた、カラクニ(韓半島)と向かい合うソシシノムナグリ(人の住まないとこ ろ)って何処(。_。)?
見事な日本語で情熱的に話す李慶熙総長のお話しは、皆を納得さ せるに十分な迫力のあるものでした。

此処が高天原だぁ!! と、覚めやらぬ興奮を抱きながら、向かうは八万 大蔵経で名高い「海印寺」。
世界文化遺産の八万大蔵経が納められた建物は高床式?で、地下 には30cmも塩が積まれ、夏は涼しく冬は暖かい風が通り抜ける建物 の構造と、数ヶ月も海水に浸けて乾燥させた木版のおかげでカビもせず 営々とその姿を保っているその数、8万1258枚\(◎o◎)/!

ここでも熱心に説明をされるお坊さんの長い長いお話しを、金基河さん が翻訳して下さり、出発を促しにいらした比安さんも、入魂な様子の坊 様に、ついついミイラ取りがミイラになってしまったのだ(~-~;) 祖先の文化遺産を受け継ぎ、脈々と子孫に伝える情熱に感銘を受け ながら、予定の時間を大幅に遅れて晋州に出発する我らメロウ倶楽部 の面々と、大邱に引き返すKJ−CLUBの皆さんとのお別れは、涙涙の 泣き別れ・・チト、オーバーかな(~-~;) でも目頭が熱くなる場面ではありました!

普州に向け出発したバスは、やがてノンビリした田園地帯を抜け、夕闇 迫る晋陽湖(南江ダム)に到着。トンファさん曰く、田沢湖に似てる! その素晴らしい夕景をしばし眺めて、夕食の待つ甲乙庭園へ。
やれ嬉しや、今晩の夕食はカルビ焼きだぁヽ( ´ー`)ノ
定額に無いビールなどキコシメシテご機嫌のメロウさんとは対照的に、こ こでも会計のKANCHANさんは大童、毎度ありがとう(^_-)-☆

さてお待ちかねは、南江での提灯祝祭と夜市場見物。が、夜も更けて 見学の時間は僅かばかり、それでも煌々と煌く灯篭の美しさに息を呑み、 開天祭の賑やかさの窺われる対岸の風景を眺めて集合時間となりまし た。ところがドッコイ、戻って来ない人が居るぞぉ(;¬_¬)
一哉さんが心配して姜さんの携帯に電話をすれども応答なし(/_;。) 若い運転手さんも食堂や橋の上を行ったり来たりと、探し回って下さって、 ほんとにありがとさん(^_-)-☆

待つこと30分、対岸に渡ってシッカリ見物し、満足顔でお帰りの皆さんと、 イライラ顔の車中の人(。_°☆/  でも皆無事で良かったヨカッタなぁ('-'*)

到着の遅れた東邦ホテルでは、ツアコンの居ない悲しさ、どのツアーかの 確認やら部屋毎のキーの手渡し、パスポートNO記入のお願いと大童。 皆が無事に部屋に引き取り、長い一日の終わりでありました(´ヘ`;)ハァ


あんみつ姫 記