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[No.527] 大正3年の本 投稿者:   投稿日:2008/04/06(Sun) 20:42
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 大正3年、というと変蝠林(1917-)さんも、まだお生まれになっていない。万延元年生まれの和田垣謙三さんの本、これは当時のベストセラーである。

 あっしは一冊持っていますが、この頃の本(「兎糞録」「吐雲録」ほか)というのが実に面白い。オモシロもいろいろあるが、その一つ。今の本と違って、大正時代はうんと余裕があったらしく、「吐雲録」の巻末に、姉妹書「兎糞録」の宣伝文が付いているのだが、宣伝文といっても(しかも、これが虫眼鏡で見ないと、とても読めないよう小さな小さな字で書いてある)16ページもあるので恐れ入る。17ページ目にやっと、奥付きとなる。

 たとえば、萬朝報紙は、▲萬朝報曰く、「巴里に於ける忠臣蔵」より始めて「いろはカルタ大観」に至るまで百三十二篇、折りに觸れ時に應じて兎糞的にポツリポツリと書き蒐めたる断片、固より聯絡あるものにあらねば、記者も時に應じ折りに觸れて、二つ三つ宛飛び飛びに読んでみよう思ひしが、一気呵成に読んで了ひぬ。

 こんなのが延々32もつづくのである。それから気づいたのは、当時書名に「〜録」とつけるのが流行ったらしい。和田垣の他、村上浪六に「罵倒録」、「元禄忠臣録」幸田露伴に「洗心録」などがある。

  ところで、変蝠林(1917-)さん、この和田垣の名前を、聞いたことはありませんか?(^_-)-☆

 


[No.528] Re: 大正3年の本 投稿者:変蝠林(1917-)   投稿日:2008/04/07(Mon) 00:50
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>ところで、変蝠林(1917-)さん、
>この和田垣の名前を、聞いたことはありませんか?(^_-)-☆

との事ですが是は聞き初め。
父が社会党創設に夢中で良く沼津に関係して居たから多分?ですが・・・

小学校に入ってからは朝日夕刊の『朝日の鎧』と言う新聞小説を待ち兼ねて
読んだ事は今でも記憶に新たですが・・・・
当時はルビ付きでしたからキング、婦人倶楽部なども読めましたね。

社会に出て初めて買ったのが田辺 元の『歴史的現実』。
メロウ倶楽部が潰れたらの時にと充分理解せぬ儘に今も棚に眠って居ます。
絶対矛盾的自己同一も未だ起して居ません。

                             変蝠林(1917-)


[No.529] Re: 大正3年の本 投稿者:   投稿日:2008/04/07(Mon) 20:36
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変蝠林(1917-)さん、こんばんは。

> との事ですが是は聞き初め。

 そうですか、それは残念。でも、この方、変蝠林(1917-)さんとだったら、すぐ意気投合しそうな感じなんですがね。(^_-)-☆というのは、彼の著書「吐雲録」の冒頭を読めばすぐ分かりますよ。どうです、この書き出し。

 一、吐雲
 
 「蛟龍得雲雨終非地中物」とは支那の古語にして、失敗者、不遇者等の藉りて以て自ら慰め、又世に對して自ら辯護する為め屡々引用する所なり。

> 父が社会党創設に夢中で良く沼津に関係して居たから多分?ですが・・・
>
> 小学校に入ってからは朝日夕刊の『朝日の鎧』と言う新聞小説を待ち兼ねて
> 読んだ事は今でも記憶に新たですが・・・・

 ほう。朝日新聞の連載小説で「朝日の鎧」って題なんすか?ところで、その作者名はまだ覚えておられますか?

> 当時はルビ付きでしたからキング、婦人倶楽部なども読めましたね。

 ルビ付きは懐かしいですね。(^_-)-☆

> 社会に出て初めて買ったのが田辺 元の『歴史的現実』。
> メロウ倶楽部が潰れたらの時にと充分理解せぬ儘に今も棚に眠って居ます。
> 絶対矛盾的自己同一も未だ起して居ません。

 絶対弁証法とか、聞いただけでは、何のことやらサッパリです。それから、田辺元のほか、西田幾多郎なんというのもいましたね、兄貴がよく口にしていましたから、名前だけは何とか。(-_-;)


[No.530] Re: 大正3年の本 投稿者:変蝠林(1917-)   投稿日:2008/04/08(Tue) 01:50
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紋次郎さん、こんばんは。
 
> 「蛟龍得雲雨終非地中物」
巳年だけれど終に小蛇。

> 「朝日の鎧」作者名はまだ覚えておられますか?
当時は話の進行のみに関心、作者は関係なし!

>  西田幾多郎なんというのもいましたね、
彼の本も積読中。病床に入った時の為。

そうそう少年倶楽部の次は子供の科学。

                 変蝠林(1917-)    


[No.531] Re: 大正3年の本 投稿者:   投稿日:2008/04/08(Tue) 12:00
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  変蝠林(1917-) さん、みなさん、こんにちは。

> 「蛟龍得雲雨終非地中物」

> 巳年だけれど終に小蛇。

 いえいえ、すでに蛟龍の風格十分ですよ。

> > 「朝日の鎧」作者名はまだ覚えておられますか?
> 当時は話の進行のみに関心、作者は関係なし!

いわゆる伝奇小説ってやつですね。『あさひの鎧』は国枝史郎の作品だそうです。「時事新報」紙に昭和9年の8月から
連載された由。彼の作ではほかに「神州纐纈城」なぞが有名のようですね。

 それから、江戸川乱歩など探偵小説も読まれましたか?

>  西田幾多郎なんというのもいましたね、
> 彼の本も積読中。病床に入った時の為。

  積読のほうではあっしのほうが一枚も二枚も上と思っておりやすが…。(-_-;)

> そうそう少年倶楽部の次は子供の科学。

 「少年倶楽部」や「子供の科学」も当時の大ヒット商品でしたね。

  ではまた。(^_-)-☆


[No.532] Re: 大正3年の本 投稿者:変蝠林(1917-)   投稿日:2008/04/08(Tue) 13:01
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唐辛子 紋次郎 さん、みなさん、こんにちは。

> いわゆる伝奇小説ってやつですね。『あさひの鎧』は国枝史郎の作品だそうです。「時事新報」紙に昭和9年の8月から
> 連載された由。彼の作ではほかに「神州纐纈城」なぞが有名のようですね。

是はサンクス。 但し私の記憶では朝日夕刊。 昭和九年には中学四年生。

>  それから、江戸川乱歩など探偵小説も読まれましたか?

 エドガァランポウは好みに合いませんでした。

>  「少年倶楽部」や「子供の科学」も当時の大ヒット商品でしたね。

 鉱石ラジオを如何に小箱に納めるかに成果を見せ合った思い出が・・


[No.533] Re: 大正3年の本 投稿者:BUP  投稿日:2008/04/08(Tue) 15:21
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変蝠林(1917-)さん 唐辛子 紋次郎 さん、みなさん、こんにちは。
>  鉱石ラジオを如何に小箱に納めるかに成果を見せ合った思い出が・・
そこでやめておけばよかったのに、それが昂じてハムに、また、それが昂じて職業無線通信士に、空に、陸に、海に、ついに一生をトンツーに捧げてしまった大ばか者は小生であります。
稀に、アキバのハム専門店の店頭でトンツーをエレキーで打っているジジーは小生であります。


[No.537] Re: 大正3年の本 投稿者:カッコウ  投稿日:2008/04/08(Tue) 20:15
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BUPさん。はじめまして。
トンツーの話が出てresを書いています。私もハムで一応2アマの免許があり、
アマチュア局の免許状はありますが、実際はなにもしておりません。私が
トンツーを習ったのは鳥居さんという方で、先年亡くなりましたが、やはり
プロの通信士で、コールサインはJA1LAHでした。昔はトンツーを聞くと、癖
で誰が打っているかわかったそうですね。下手に打つとヘボカワレといわれ
て大変だったという話を聞きました。
                               JH1XUE
                              カッコウ


[No.539] Re: 大正3年の本 投稿者:変蝠林(1917-)   投稿日:2008/04/09(Wed) 06:26
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カッコウさん も  BUPさんもトンツー!?。

私のコイル巻きは入学試験でストップ。
応召で陸軍歩兵になったら暗号班勤務。

トンツー器がバラに在るなら触りに往かねば。
尤も、私は手動発電器の応援のみだったが・・

                       変蝠林(1917-)


[No.540] Re: 大正3年の本 投稿者:BUP  投稿日:2008/04/09(Wed) 09:32
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カッコウさん 変蝠林(1917-)大兄  おはようございます。
四十年あまり、トンツーでおまんまを食わせて頂きました。
もっとも最後の数年は通信衛星経由のつまらないものになってしまいましたが。
「ヘボカワレ」 は、プロは使いません、相手あってのお仕事ですので。
遊びには使いましたよ、もっと強烈なのは「モールス符号でタノム」って言うのも。
家内、娘共、みんなコールサイン持ってました。
お話は尽きませんので、追って、のんびりと。 (これからプールへ 猛泳と水中歩行)