大正の部屋  ー温故知新ー 
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[No.564] Re: 瀬戸内寂聴と云う人 投稿者:   投稿日:2008/04/19(Sat) 21:29
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   マサちゃん、みなさん、今晩は。(^_-)-☆

>  今東光といえば雑誌プレイボーイにでしたか、若者相手に人生相談に乗っていました。
> それを集英社で極道辻説法・続極道辻説法・続辻説法などの本にしていますね。
> 若い頃買って読んだのですが、今東光自身は実に数奇な人生を送っているし、その説法もバンカラで破格の面白さ、当時は彼のファンの一人でした。
> 今東光は男向き、瀬戸内寂聴は女性向の説法という感じです。

前にも書きましたが、死んだ女房は寂聴が好きだったようです。あっしはそれほど好きではありませんが、人間の好みと云うのは人それぞれですから、あっしはすべてを受け入れます。(^_-)-☆

 今東光はなんといっても、あっしには他の作家より沢山の「縁」があります。うまれはたしかに横浜であっても、のちにあっしの父の郷里、兵庫県の中学へ転じています。また、晩年は彼の夫人の郷里、つまりあっしの住む北総佐倉の地で病を養い、またそこで病没しています。さらに、彼の実弟、今日出海が、文化庁長官のとき、佐倉へ国立博物館建設の話が持ち上がり、当町へわざわざ下検分にやってきたのです。そうして、彼の視察の結果、現在の場所にその博物館が出来あがったのです。あっしは博物館のあたりを散策するたびに、彼の実弟、今日出海の名前を思い出しています。

 あっしの先祖は坊さんで、説教師でした。この商売は口先がうまくないと実績を上げられないようです。説教は大勢の信者を増やす便法です。どんな方法を使っても信者を増やせれば、開祖のお釈迦さまも喜ぶはずです。してみると、東光は東光流、寂聴は寂聴なりに工夫を凝らした方法で信者を増やしたという云い方も出来るのではないでしょうかね。(^_-)-☆ 


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