[掲示板へもどる]
一括表示

[No.253] 行軍将棋 投稿者:   投稿日:2008/01/16(Wed) 23:48
[関連記事

私の子供の頃、「行軍将棋」というものがありました。一箱30銭か50銭くらいのもので、箱の中に赤と黄色の駒がそれぞれ20枚ぐらいと紙の図面(謂わば将棋盤)が一枚入っていました。

駒には軍旗と書いた駒が一枚、大将以下少尉までの駒や工兵、砲兵、騎兵などと書いた駒、或いはタンク(戦車のこと)や地雷の駒などがありました。そして将棋盤の方は、赤軍と黄軍に別れ、それぞれ一番奥の中央に軍旗を据え、それを地雷やタンクや兵隊で守っています。両軍の接触する通路は3本ありました。

このゲームは赤軍、黄軍、審判の3人で遊びます。軍旗の他は駒を伏せてそれぞれ考えて盤上に配置します。地雷は後方3段目以下にしか配置出来ませんでした。駒の配置が決まるといよいよ交戦です。地雷は動かせませんが、その他の駒を動かして、敵の駒とぶつかると審判が両軍に見えないように駒を見て、勝った駒を残し、負けた駒を除去します。各駒の勝ち負けは、例えば、大将以下の将校は位が上の方が勝ち、大将でもタンクや地雷にぶつかると負けになります。地雷は工兵に負け、タンクは砲兵に負け、工兵や砲兵は将校には負けと言った調子です。そして最後に敵の軍旗を奪取した方が勝ちとなりました。

こうして遊ぶのですが、その内飽きてきたり、3人、人数が揃わなくなったりすると、今度は溜めてあった古い駒を集めて、人のいない部屋へ行って、一人おで赤軍と黄軍を適当に散会させ、座布団を山に見立てたりして、いろいろな戦闘場面を想像して遊んだりしました。まさに軍国主義の子供でした。

この行軍将棋、大阪出身の友人に訊いてみたら、知らないと言います。関東地方だけの遊びだったのでしょうか?


[No.254] Re: 行軍将棋 投稿者:BUP  投稿日:2008/01/17(Thu) 11:57
[関連記事

軍人将棋と記憶しております。
下記にサイトも御座います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E4%BA%BA%E5%B0%86%E6%A3%8B

日本軍人将棋連盟 ↓ なんて言うのも在るそうです。
http://www.tanken.com/gunjin.html

不虻さんが戦時中に九州にお出かけの折の岡山のお話や、横須賀でのお話を拝見させて頂きました。
二南遣の航空輸送部に居りましたので、時々、輸送機のエンジン交換で九州の基地や羽田、横須賀などに帰ってくることが御座いました、丁度その頃、東京より博多まで列車で往復したことが御座います。
博多駅前の上野屋とか言う旅館に泊まった記憶が残っておりますが、岡山駅で途中下車、駅前付近の旅館で一泊したことを想い出しました。
食事は出せないと言うので、爪哇島より持参した、チョコレートや石鹸を少し出したら、食事は勿論、翌朝のお握りまで作ってくれましたが、そのお握りに塩気がなくて食えませんでした。(つまらないことを想い出してしまいました)


[No.259] Re: 行軍将棋 投稿者:   投稿日:2008/01/20(Sun) 17:10
[関連記事

BUPさん

もっと早くお礼をと思いながら、ここ数日間外出する用件があり、すっかり遅くなりました。やっと一段落しました。

行軍将棋について、いろいろ新しいことを教えて戴き、有り難うございました。ウィキぺディアにあんなに詳しく出ているとは知りませんでした。

> 不虻さんが戦時中に九州にお出かけの折の岡山のお話や、横須賀でのお話を拝見させて頂きました。

以前伝承館に寄稿した海軍時代のことを読んで戴き、これまた有り難うございました。
BUPさんも海軍に居られたのですか?随分お若かった頃ですね。

私はよく知りませんが、二南遣というのはボルネオ、セレベス方面担当では無かったでしょうか?私の同期生も南方の特別根拠地隊には大勢赴任していました。海軍時代の思い出話も良いではありませんか。同期の友人とは時々会って懐古話をしています。


[No.260] Re: 行軍将棋 投稿者:BUP  投稿日:2008/01/20(Sun) 18:40
[関連記事

お久しぶりです。
> 二南遣というのはボルネオ、セレベス方面担当では無かったでしょうか?
17歳になる前にセレベス島マカッサルに赴任しました。
その後、スンダ列島を転々、終戦後は一年ほど収容所生活も。
結構、楽しかったですよ。